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『花嫁』コラボレート写真詩⑤  [コラボレート]

 

         『花嫁』 

 (photo by silvermacさん ハクモクレン)

 

   白いモクレンが咲くころ あたしお嫁にいくの

   それが口ぐせの娘が居た

   よく行く居酒屋の

   よく働く娘だった

 

   地方から出てきて ずっとひとりで暮らして

   故郷で やはりひとり暮らしをしている父親に

   精一杯仕送りをしているという 評判だった

 

   綺麗ではなかったが 優しい顔をしていた

   娘に恋する奴はいなかったが

   毎日顔を見にくる男は大勢いた

 

   桜便りが聞こえはじめたころ 

   娘の姿が店から消えた

   男たちは うわさに興じた

 

   田舎に帰ったのさ と云う奴がいて

   男に決まってるよ と決めつける奴がいた

 

   ラクに稼げる仕事はいくらでもあるからな

   嘯(うそぶ)く奴がいて

   いかがわしい場所で見た と云う奴もいた

 

   しかし結局のところ誰ひとり 

   娘のことなど知らなかったのだ

 

   そしてハクモクレンが咲き始めたころには 

   一年近く働いていた娘のうわさ話をするものなど

   ひとりもいなくなった  

 

   都会では 珍しくもない話だが

   花の季節がくると あの子の言葉を思い出す

 

   白いモクレンが咲くころ あたしお嫁にいくの 

 

(作者からあなたへ)

☆都会でひとり暮らすあなた。誰にも言わない、言えないその胸の内には、一体どれほどの想いを抱えているのでしょう。人はみな一人では生きられない。なのにひとりで生きていかなければならない‥そういう自分を励ますために、自分に向かって、自分を支える小さな嘘をつく。いいじゃありませんか、誰かに ほんとうに出会うまでは‥。

 

 

 http://blog.so-net.ne.jp/ryofu/

(『気ままにブログ』より)

いつも素敵な花が咲き誇るsilvermacさんのブログ06.03.11付の「ご近所の花」から、いま真っ盛りのハクモクレンの花をお借りしてきました。抜けるような土佐の青空にキリリと咲き誇るハクモクレンを見ていると、昔、行きつけの店に居た可愛い娘さんがよく言っていた言葉を思い出しました。春、若い娘さんの胸の中には、ハクモクレンの白い花が未来の夢を広げるのでしょうか。

 

 

 

 


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 『桜散る路地』コラボレート写真詩⑰ [コラボレート]

 

   『桜散る路地』

(photo by ドン亀)

 

  花びらに誘われて 見知らぬ路地に迷い込んだ

  通いなれた道の裏に 見知らぬ路があることに

  初めて気づいた

 

  花びらに教えられて歩く 初めての路には

  初めての風景が 次々に現れる

 

  毎日 当然としていた 歩かなければならない道と

  偶然見つけた 歩いてもいい路の違い

 

  休日の余裕が 

  そんなことを考える時間をくれたのか

 

  桜散る路地の 午後のノスタルジー

 

(作者からあなたへ)

 ☆大人になってから、迷子になったことがありますか? この詩は、「近所」という呼び方で、知り尽くしていたつもりだった場所を、本当はほんのわずかしか知らなかったことに気づかされたある日のできごとです。 

  http://blog.so-net.ne.jp/trout/

(『ドン亀日記』より)

 3枚のモノクロ写真が並んだ「スローな時間」という頁からお借りした1枚。「桜散る路地」というロマンティックなタイトルも、そのままお借りしました。

 

            


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 『風が止むとき』コラボレート写真詩⑥ [コラボレート]

 

 

     『風が止むとき』

 

 (photo by  ドン亀さん)

 

    私はときどき 

    自分が見えなくなる

   

    まっすぐ 前を向いて

    まっすぐ 生きようとしているのに

    自分を信じきれなくなるときがある

 

    どこからかやってくる 小さな迷いが

    私の歩みを奪い

    私の心に目隠しをする

 

    でも 大丈夫

    これはきっと 春の前の砂嵐

 

    見えないものを 見ようと焦るより

    見えない何かが 見えてくるまで

     待つことも大切なんだと

    このごろ少し わかるようになった

 

    だからじっと待ってみよう

    そう 風はいつかきっと きっと止むから

 

(作者からあなたへ)

 ☆自分の迷いを、自分でどうすることも出来なくなったとき、一体どうすればいいのでしょう。大人になろうと背伸びをして、疲れきって‥そういう時、方法はきっとひとつしかないような気がするのです。「待つ」ことができるようになるには、少しばかり時間が必要、ではありますが‥‥。

 

  http://blog.so-net.ne.jp/trout/

(『ドン亀日記』より)

 この不思議な写真は「春の使者」というブログ頁から借り出してきました。これは長野の風物詩だそうで。さてその正体は‥ぜひドン亀さんのブログ記事を。春の使者にもいろいろあるけれど、こういう使者はちょっと困りもの。長野の主婦の方たちは大変だ。生活するって、自然との闘いでもあるんですね。

 

 

 

 

 

 


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 『時の止まる場所』コラボレート写真詩⑦ [コラボレート]

 

       『時の止まる場所』

 

     

      (photo by  ドン亀さん 谷川岳 一の倉沢) 

 

  命を奪うほどの風が 

  いつも吹いているというその場所を

  敢えて目指す人がいる

 

  そういう場所に立つと

  時が止まるのだという

 

  生きることの意味を

  感じるのだという 

 

  命を奪われるほどの風が

  いつも吹いているというそんな場所へ

 

  私も行ってみたいと ときどき思う

 

(作者からあなたへ)

☆高い山を目指す人は、いつも何を求めているのでしょう。一人で雲海の前に立って、一体どんなことを見聞きして帰ってくるのでしょう。その山に、私もいつか、登れるでしょうか‥。

 

 

   http://blog.so-net.ne.jp/trout/

(『ドン亀日記』より)

 ブログタイトル「初めてのカメラ」からお借りしてきた写真です。ドン亀さんが山に登り始めた高校時代、初めて買って、欠かさず持っていったというバカチョン・カメラ。そういえばこの名前、シャッター押せば撮れる簡易カメラの代名詞みたいに使われてましたよね。ドン亀さんのカメラへの思いがあふれる、いいブログでした。


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『風を聴く』コラボレート写真詩⑧  [コラボレート]

 

 

        『風を聴く』 

     

                               (photo by  ドン亀さん 奥多摩)

     山に入ると

     自分の体から 少しづつ

     ニンゲンというものが

     剥(は)がれ落ちていくような気がする

 

     高みに向かうにつれ

     自尊心や劣等感 勝ち負けといった

     ヨクボウも削(そ)げ落ちてゆき

 

     やがて

     風がわたしの中に入ってくる

 

     風が

     ほんとうに聴こえはじめるのは それからだ 

 

(作者からあなたへ)  

 ☆人間が、自分を人間だと感じるのは、自分の無力さを始めて知ったとき、ではないでしょうか。孤独と云う感覚こそ、人間が持つ最も人間らしい感覚だと思うのです。だから人は、山深く入っていくのかもしれない。自分が人間だということを確かめるために。

             

 

  rout http://blog.so-net.ne.jp/t/

(『ドン亀日記』より)

 「音の無い時間」というタイトルのブログ頁で見つけた写真です。この頁でドン亀さんは、山歩きのときに実際体験した、無音の空間、について書いています。私も一度濃霧の中で、音の無い空間というのを体験したことがあります。 静寂な空間というなら、奈良県橿原神宮の巨大な森の中で体験しましたが、無音の空間となると、滅多なことでは識ることが出来ない。ドン亀さんのした神の世界の体験をぜひ彼のブログで。

  

            


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 『月の秘密』コラボレート写真詩⑨ [コラボレート]

 

 

      『月の秘密』

 

 恋をするとき

 人は どうして 月を見上げるのだろう

 誰にも云えない胸の裡を

 どうして 月にだけは 打ち明けてしまうのだろう

 

 

  恋をしたとき 

  月はどうして あれほど強く 輝くのだろう

  見失いそうな自分の心を

  ふと取り戻せそうに思うのも

  あの眩(まばゆ)い月光のせいだと 思いたくなる

 

      

 

   凝視(みつ)められるのを嫌う太陽と違って

  月はまるで 懐(なつ)いた犬のように

  人の心に入ってくる

 

  凝視めれば 凝視め返してくれる その優しさに

  人はつい心許し

  どんな秘密も 打ち明けてしまうのだろう

 

  月は 恋する人たちの秘密をみんな

  知っているにちがいない 

 

(作者からあなたへ)

☆誰かを好きになると、人は本当にどうして無防備になるのでしょう。老人は少年のようにはにかみ、少年は老人のように考え深くなる。そして誰もが無邪気に、「今」を信じてしまうのです。

 

so-net ブロガーの皆さんには、いまさら‥と言われそうな、超人気写真ブログ「 四季のうつろいを肌で感じてます」のbaldhead さんの作品に、こんな詩をつけさせていただきました。baldhead さんのURLは記事の終りに紹介してあります。

                   ←baldhead さんのトレードマーク

(『四季のうつろいを肌で感じてます』より)

 この3枚の写真は、baldheadさんのブログのあちこちから引っ張り出し、詩のイメージに合わせて、こんな風に構成してみたものです。詩を読みながら見上げる月が、だんだんあなたに近づいてくるような感覚を持っていただけると嬉しいのですが、カーソルでスクロールしながら詩を読む、というのはとても難しい、ということが、作者にもよく解りました。パソコンの限界かも知れませんね。ハイネの詩集を文庫本で買えば、月を見ながら頁を繰ることも、胸に抱きしめることも出来ますが、パソコンは使う側の自由自在、というわけはいきませんものね。baldhead さんのブログは、宝の山です。これからもあれこれ探し出しては、詩にしてみたいと思っています。みなさんもまた、新しい詩 を覗きに来てくださいね。      baldhead さんのURL は下記の通りです。         

                     http://blog.so-net.ne.jp/hage1010/                           

 

                   

              

 


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 『空』コラボレート写真詩⑩ [コラボレート]

 

 

         『空』

    (PHOTO:ドン亀さん)

    ああ そうだ 旅に出よう

    空を見て ふと そう思った

    空が 世界に繋がっていることを 思い出したから

 

    ああ そうだ 友だちに会いに行こう

    空を見て また 思った

    同じ空を きっとあいつも 見ているに違いない

 

    空を忘れるようになったのは

    いつからだったろう

    空があることに気づかなくなったのは

    いつからだったのか

 

    空は こんなに近く

    いつも傍にあるのに

 

「ドン亀日記」のブロガーであるドン亀さんとコラボレート。彼が撮影した写真に私の詩をつける形で、『写真詩』を創ってみました。10年前に東京を脱出し、いまは長野県人となったドン亀さんの撮る信州の四季や、彼が撮りためた、ちょっとノスタルジックなモノクロ写真と私の詩が、今後、どんな風にコラボレートしていくか、どうぞお楽しみください。

 なお、添えられた折々の雑感や、遠く懐かしい時代に馳せる想いがちりばめられた彼のブログなかなか読み応えがあります。ぜひ一度お立ち寄りを。『ドン亀日記』のURLは以下の通りです。 彼のトレードマークを添えましたので、彼のブログ訪問の際のご参考にどうぞ。

                http://blog.so-net.ne.jp/trout/

(『ドン亀日記』より)

 この写真は、2006年3月19日付 『テーマは「空」』 という頁に掲載された8枚の「空」写真のうちの1枚です。この頁には他に、

「山形村のたなびく雲」

「湧き上がる雲のそばにふんわり寄り添う昼の月」

「二重の虹のかかる空」

「夏の八ヶ岳高原の空」

「雨上がりに燃え上がった堂ヶ島の夕焼け空」

「初冬の安曇野の冷たく澄んだ空」

「雪の田んぼの上の快晴の空に雲湧き上がる白いアルプス」

そして今回お借りした「山形村の晩秋の空」

 が公開されています。どの空も素敵なので、どの写真をお借りしようかとずい分迷いました。みなさんなら、どの空をお選びになるんでしょうね。


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 『大人になる日』コラボレート写真詩⑪ [コラボレート]

 

      『大人になる日』

            (PHOTO:ドン亀さん)

      沈みきった太陽のむこうに

      まだ光が残っている空は

      恋したあとの心残りに似ている

 

      それは未練でもなく 後悔でもなく 

      複雑な想いに満ちた 透明な哀しさ

 

      太陽はまだすぐそこにあり

      その光を受けて

      雲は輝いているのに

 

      それが終わりの証で

      ただの残影に過ぎないのだと

      わかるようになった自分が悲しい

 

(作者からあなたへ)

☆人は、いつから子どもではなくなるのでしょう。いつから、自分はもう子どもではないと、思いはじめるのでしょう。恋はほんとうに、人を成長させるのでしょうか‥。

 

 http://blog.so-net.ne.jp/trout/

(『ドン亀日記』より)

 お借りしたのは2006年3月12日付「好きな時間」の頁から2002年7月の空を。一日のうちで夕方が一番好きとおっしゃるドン亀さん。なに、単に晩酌が待ち遠しいだけなんでしょ?

 


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『落陽』コラボレート写真詩⑫  [コラボレート]

 

 

       『落陽』

 

     

            (photo by silvermac「新舞子散策」砂紋より)

 

    まだ 人生と云うものを知らなかったころ

    海は

    青空の下でいつも輝いていた

 

    まだ 人と云うものを知らなかったころ

    海は 

    わたしを包み込む 心豊かな揺りかごだった

 

    まだ 友というものを知らなかったこ

    海は 

    わたしを導く 寛大で誠実な先達(せんだつ)だった

 

    全力で走り 

    転び

    挑み

    闘い

    勝って 負けて

    あきらめなかったころ 

 

    いつだって海は

    怖いもの知らずの わたしの味方でいてくれた

    だから

 

    千の波打ち際を走り 

    万の砂丘を駆け抜けることができた

 

    しかしある日 ふと 立ち止まったとき 

    わたしはひとつ 

    知らないものがあることに気づいた

 

    あたりを黄金に染めていく

    海の終わりを

    わたしはいま みつめている

 

(作者からあなたへ)

 ☆いま、走り始めた人、全力疾走している人、ふと立ち止まった人、じっとたたずんでいる人、走ることをやめた人、もう走れなくなった人‥‥そんな人たちが最後に気づくものについて。

 

 今回コラボレートしていただくのは、土佐の粋人silvermac さん。古希(70歳)を迎えて3年、関西から土佐へとUターン。そして半年前から始められた、大人気photoブログ「気ままにブログ」のご当主です。ご自分のことを”macジジイ”と自己紹介なさっているだけあって、映像の腕は相当なもの。彼のブログでは、土佐の皿鉢料理祭りも紹介しています。豪華かつ、メチャメチャ美味しそうな土佐の名物料理は一見に値します。ということで、今回は彼の「海」と「花」の写真をお借りし、こんな詩を書いてみました。もしお気に召したら、ぜひ暖かい応援コメントをいただけると幸せです。silvermac さんのURLは以下の通り。彼のトレードマーク、竜馬像も添えてみました。   

         http://blog.so-net.ne.jp/ryofu/

(『気ままにブログ』より)

 この写真はsilvermac さんのブログ「新舞子海岸の落陽」の頁からお借りしてきたものです。実はこの写真を撮るきっかけになったのが、ご令嬢のご夫君の不慮の事故。研究所勤務のご夫君が、実験中爆発事故に会われ、入院先の新舞子へ駆けつけられた折りの宿の傍で、この素晴らしい夕陽と遭遇された由。院内感染で重篤な状況になられたご夫君のお見舞いを終え、宿に帰って出会われたこの夕陽はもしかしたら、事故に遭われたご夫君の感謝の気持ちの現われだったのではないでしょうか。silvermac さん、大事に至らず、本当に宜しゅうございました。この詩はそうした事情を知らず書き上げたものですが、お気に入っていただけることを心より願っております。

   


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 『子どもの時間』コラボレート写真詩⑬ [コラボレート]

 

 

 

      『子どもの時間』

                                      

   

          (photo by silvermac「新舞子散策」砂紋より)

 

         足の下を しゃらしゃらと

       海が流れてゆく

 

       どこまでも続く砂場で

       わたしは幸福だった

 

       長く生きて

       覚えていることは そんなに多くはないが

 

       夏の日の 

       子どもの時間だけは

 

       少しも色褪せずに

       いまも 私の中にある

 

(作者からあなたへ)

 ☆足の下を流れていくのは、人生?苦しいこと、哀しいこと、楽しかったあれこれ、人生には数え切れないほどの出来事があったはずなのに、振り返ると覚えているのは無邪気な時間‥。

 

(『気ままにブログ』より) http://blog.so-net.ne.jp/ryofu/

 この美しい砂紋の浜の写真は、silvermacさんの「新舞子散策」の頁からお借りしてきたものです。silvermacさんは、少年時代、お祖父様といっしょに船を漕いで、ふるさと高知の浦戸湾に釣りに行ったそうです。そのときの思い出を、今も大切に胸にしまっていらっしゃる。

 私も含めて、子どもというのは不思議な生き物です。格別なこともなく、ただただ暑かった、というそれだけの一日を、大切に胸の奥に仕舞い込む。大人たちが、忙しさにかまけて気にもしないで忘れてしまう一日が、少年にとっては宝物の時間。人間は、何十年も生きてみないと、幸せで満ち足りた時間というのがどういうものか、解らないのかもしれませんね。

 silvermacさんのこの頁にはこのほかに4枚の写真が紹介されており、前々頁より続く4部作の新舞子海岸シリーズには、春匂う花々も咲き誇っています。silvermacさんの日記も楽しい。ぜひ一度訪問されることをお奨めいたします。

 

 

 


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