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私が作家になったわけ‥‥。 [制作裏話]

(私と仕事と作品制作裏話)

 住所、氏名、年齢は、ちょっとご勘弁を。でも職業は、実はモノ書きです。

 どんなモノを書いているかと言えば‥‥小説、漫画の原作などいろいろ。しかし先日、パソコンの「古書販売」のコーナーで、私の旧作の文庫本が¥140で売られていたのには驚いた。古書ォ‥‥! ま、物書きの宿命ですけどね。

 書く仕事に入る前にやっていたのは、う~ん、20代は某出版社で雑誌編集を。それからディスプレイ・デザイナー、ファッション開発アドヴァイザー、企業の人材開発顧問、TVのシナリオ・ライター、次が広告代理店の企画プランナー、で漫画の原作、小説書き。

 そういえば、合間を縫って劇団なんかも、主宰してました。『耽美舎』という。

 旗上げ公演のときは、映画監督の鈴木清順さんから、パンフレットにお祝いのメッセージをいただきましたっけ。いや、TVアニメ 『ルパン三世』 のシナリオなんか書いてたもので。

 いやぁ、こう並べてみると、いろいろやってきましたね、我ながら。

 一番長かったのが大手広告代理店の企画プランナー。で、プランナー時代に同時併行で小説や漫画原作を書き始めた、というわけですが、この職歴でお解りのように、決してもう若くはありません。100才までにはまだかなりありますけれどね(笑)

 でもあるとき、人間どこかで自分の人生に答えを出してみなきゃ、と思いましてね。これまでの生き方と、そこから得て学んだあれこれを、できるだけ沢山の人にお返ししたい、それができる仕事は何だろう、と考えたわけです。

 そして出した結論が、新しく人生を始める人たちへの贈り物。これが、小説や童話を書き始めた理由です。

 そのきっかけになったのが、頼まれて書いたジュニア小説。いや、思い切りほっぺたを引っぱたかれました。背筋が伸びましたよ、あの経験は。

 私にとっては頼まれ仕事。当時、一日が何で24時間なんだ ! と呪いたくなるほどの忙しさで、そんな中、仕事で知り合った某出版社の、義理ある人にどうしても、と頼まれたため断りきれず、好きなものを条件ナシで書かしてくれるなら、というワガママを聞いてもらって書いたのですが。

 生まれて初めて小説を書くのです。しかも、いい年をしてジュブナイル!つまり少女小説。書き方も何もわからない。どうやってまとめるのかもわからない。そんな中で、イチに自分に課したのは、これを読んだジュニアたちが幸せになるように、そしてこれから始まる彼女たちの人生に、ほんの少しでも役に立つものを、でした。

 だから編集者に言ったのは、恋愛小説は書きませんよ、あえて言うなら、ジュニア向けの企業小説。つまりこんな仕事があって、こんな生き方があるよ、が柱になっている、ちょっと変わったストーリーなら書きましょう、でした。そしてなんとこの小説が、発売後一週間で、全国の書店で完売!

 すぐ第2弾を、と言われ、書き始めたのですが、その私の元へ届けられる、いくつもの紙バックいっぱいのファンレター。これに私は、大変なショックを受けたのです。

 いちばんショックだったのが、北海道の網走から届いた中学生からのファンレター。便箋数枚にわたって書かれていた彼女の手紙にはこう書かれていたのです。

「私の町には本屋さんが一軒しかありません。だから毎月、ティーンズ・ハートの発売日を楽しみに待っているんです。でも私のお小遣いでは、一冊しか買えません。五冊発売される中で、私はいつもどれにしようかと悩みます。でも今回は先生の作品に出会って、本当にうれしかった。私もこの主人公の女の子のように、ネバー・ギブアップ、あきらめずにがんばろうと思いました。」

 私は東京の原宿に住み、毎日企業相手に丁々発止。夜は六本木や赤坂、渋谷と、それなりに遊んでいました。そんな私が、頼まれ仕事と割り切って、それでも一応、書く以上はと、知りもしない少女たちに、エラそうなストーリーをつきつけて‥‥。

 考えてもいませんでしたよ、町にたった一軒しか本屋がなく、映画を見に行こうと思ったら、バスで一時間以上も揺られていかなきゃならない場所がある、なんて。

 ファンレターはそれからも続々と届き、私を袋叩きにしてくれました。

 一週間に一度しか船が来ない離島に住む少女から、いくつも山を越えて、町の本屋まで本を買いに行く少女から、いわゆる閉じこもりになってしまって、部屋から一歩も出られず、本だけを楽しみに生きている少女から、もう治らない病気で入院している少女から、いじめに耐えつづけ、でももう駄目と悲鳴をあげている少女から‥‥。

 私は本当に考え込んでしまいました。仕事は相変わらず忙しく、ギョー界人たちからは飲むお誘いが連日のようにあり、パーティあり、レセプションあり、それこそ寝るヒマもないほどの毎日の中で。

 これは生活なのかな ? 私の望む生き方なのかな ? 

 私は一大決心をし、彼女たちのファンレター全てに返事を書き始めました。編集者の人は言いました。そんなことする必要はありません、ハガキにありがとうと印刷してそれを送り返すだけで十分です。他の先生方はみんなそうしてますよ、と。

 あなたは、見知らぬ人から、数千通を超える手紙をもらったことがありますか ?その一通、一通を書くのに、どれほどの時間がかかっているか、考えたことがありますか?  私は、仕事を終えた後、真夜中から朝方まで、一人で返事を書いていて、それを実感し、そのありがたさに涙がこぼれました。

 私がしている仕事に、これほどの個人的なレスポンスが返ってきたことなど、一度もありません。レスポンスの代わりにいただくのは、お金。使えばなくなってしまい、また、もっとほしくなる、お金だけ。堂々巡りの悪循環‥‥。

 ダイヤもブランド品も、買った瞬間、ゴミへの道を歩き始める。でもこの手紙は、読み終えた後も心に深く残り、どんなにつらいときも、しんどいときも、私を支え、励ましてくれる。

 たった一冊の本が、これほど沢山の人を喜ばせ、その人を幸せにし、その人の支えになるのか‥‥。私にもしそれができるのなら、それをしないのは怠慢じゃないのか。自分だけのための金稼ぎなんて、なんになるのだろう。

 と言うわけで私はギョー界人をやめ、いきなりモノ書き人生を始めた、というわけです。まだまだ駆け出しなので、お金はギョー界人時代に比べたら、まるで稼げなくなったけれど、なに、人間、毎日食べることができれば、十分です。

 残された人生は、これから人生を歩む人たちを幸せにできる仕事に使いたい、本気でそう思っています。だからオトナも子どもも読める「小説」と「童話」、なんですけどね。ま、思い通りのものが書けるかどうかは別問題として(笑)

 長くなりました。長い私の話に、付き合ってくださって、ありがとう。

 このブログは、私にとって、これからの作品制作のための「実験」なんです。

 本で読むお話と、パソコン上で読むお話。どこがどう違うのか、なぜ違うのか、ブログを立てたおかげで少しわかってきました。でも、もう少し知りたいことがある。だから、がんばって続けます。

 ティーブレイクのチョコパフェです。

 さて、お奨め童話をひとつ。これは、これまでの童話童話したストーリーとは、少し違って、ほんのちょっぴり、推理小説の要素を取り入れ、書き方も、小説の手法を使って、大人の方が読んでも、そこそこに面白がってくださるよう、工夫してみたんですが。

推理ファンタジー『雪の日の リリィ』(第七回「ゆきのまち幻想文学賞」 佳作)

 あなたがどんな風に楽しんでくださるか、作者としてはそれが楽しみです。

 もしよろしければ、次の制作の励みになる、読者の感想ってやつをいただけると幸いです。

 では大人向けの推理童話、『雪の日の リリィ』を、お楽しみください。あなたからのコメント・プレゼントを楽しみに。

(特報!)

この6月22日(木)28日(水)の2日間、東京原宿・表参道で、体験講座「小説家講座」を開くことになりました。まことに短期間の募集であり、かつ平日の夕方からなので、なかなか参加されにくいかも知れませんが、あなたの新しい未来を切り拓くお手伝いができたら、嬉しいですね。セミナーに参加したことがない、なんて方でも大丈夫。どんなことやるのか、興味シンシンで覗きにきてください。私もあなたに、興味シンシンなので。

 記事タイトル:「私の『小説家講座』に参加しませんか?」

 以下に、今回の講座内容を少しばかりご紹介しています。リンクを張ってありますのでご参照を。内容や講座についてのご質問は、コメントでどうぞ。

 ★小説家講座の内容:エッセイの書き方

 ★小説家講座の内容:童話と絵本の書き方  

 小説家講座の内容:短編小説の書き方 

 小説家講座の内容:長編小説の書き方

                              mama-witch

 講座は終了しました。多数のご参加に感謝します。

(これまでの記事ガイドはこちら。それぞれ、クリックしてお入りください)

 ★(NEW!)最新記事とダイジェストガイドをどうぞ。

   ※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。

 『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~21)

 ★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 


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『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。 [童話]

(ごあいさつ)いろいろな賞をいただいた童話を、まとめてご紹介する、ダイジェスト・ガイドを作りました。クリックしていただければ各話に入れるようにしてありますので、ご自由にお楽しみください。ただいま少々多忙のため、なかなか新作に手がつけられませんが、できるだけ早く新しい作品を発表したいと考えております。( イメージ写真は、昨年、井の頭公園で出会った赤ちゃんのスナップを使わせていただきました。可愛いでしょ!)

4/27 近況報告) 近いうち、15 才のイラストレーターSASUKE さんと組んだ新しいコラボ作品を発表する予定です。SASUKEさんは愛媛、私は東京と、互いに遠距離の上、彼女は高校に通いながらの共同制作ですので、まだ少し時間がかかるとは思いますが、ご期待に沿える面白い作品を創るようがんばっている最中です。

(その他の記事もいろいろあります。下記にリンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)

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( では、童話作品をどうぞ。)

 『北のカリヨン』エピソードが次々に転がっていくロードムービー童話

(第11回 家の光童話賞 佳作)童話

 原稿用紙10 枚程度の童話ですが、ちょっと変わった仕掛けがしてあります。

 女の子が拾った小さな金色のベルが次々に人の手に渡り、各地を転々としながら、ベルを手に

 する人々と、短いエピソードが生まれる。そのエピソードがまた次のエピソードに繋がってゆく、

 いわばロードムービー童話です。

 

『あっちゃん バイバイ』5才で天国に行った小さな女の子のお話

(ほたる出版 第一回ほたる賞受賞)→童話

 これも原稿用紙10 枚の童話。

 筆者が子どものころ実際にあった話がずっと心に残り、それを童話という形に仕立てたもの。

 5歳で死んだあっちゃんと、それを取り巻く子どもたちとの、ひと夏の物語。

 しみじみとしたストーリーです。

 

『父さんの フェニックス』男の子とお父さんの切ない約束の物語

(第二回「言葉の町お話コンクール」三重町民賞受賞)→童話

 原稿用紙10枚の童話。これも筆者が子どものころ、周辺に居たある少年の実話を素に、童話と

 いう形に仕立てたもの。父親の事故を超えて急激に成長したクラスメートへの感動が、この作品

 を創らせたと思っています。

 

『雪の日の リリィ』)→最後まで結末が見破れない推理ファンタジー

(第七回「ゆきのまち幻想文学賞」 佳作→童話

 原稿用紙10 枚。これは小さな推理仕立てのファンタジー小説です。

 ストーリー通り読んでいただければ、多分最後まで、仕掛けのタネは見破れないはず。

 他にも、原稿用紙100枚程度の、中篇の児童向けファンタジー小説の受賞作があるのですが、

 横書きのブログで読むにはいささか無理がある、と判断したので掲載は見送ります。

 どうしても読みたい、と云う方は、コメントで脅迫を。私は脅しには弱いので(笑)

(追伸)4月14日に、高校一年生のイラストレーター「sasukeさん」のイラストが、挿絵として追加されましたので、いっそう楽しくなりました。お楽しみください。

 

『おじいちゃんの ヤリナオシ・カプセル』 →笑ってほろり、の爆笑SF童話

(教育総研「創作ファンタジー・創作童話大賞」創作童話部門 佳作)→童話

  これは少し長め、原稿用紙で20 枚の小学生向け童話です。でも、大人が読んでも楽しい” 笑えるSF童話 ”だという嬉しい、コメントをいただいてます。むかし子どもだったあなた、ぜひ一度読んでみてください。なかなか悪くない気分になれると思いますよ。いや、ほんとは、小さい子どもたちに、声を出して読み聞かせしてもらえると、作者としては嬉しいんですけどね。

 

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『不思議な時計の話』 時計職人の話から。 [考えさせられた話]

ある朝‥‥。

 金魚のせり市の声で目が覚めた。ここはマンションの7階。そんなバカな、と寝ぼけ眼で起きたら、昨夜からつけっ放しのテレビに、江戸川の金魚せり市の風景が映し出されていた。懐かしかった。

 昔、金魚に狂って、700匹以上飼っていたことがある。もちろん部屋もベランダも水槽だらけ。病高じて、いつも買っていた金魚屋のオヤジさんに無理やり頼みこみ、江戸川の、プロしか入れない金魚のせり市まで連れて行ってもらったこともある。

 通り過ぎた日々は、こうした思いがけないスィッチでも入らない限り、記憶の底に埋もれて出てこない。

 オムニバス形式の俳句番組。「昔あった風景」というタイトルに惹かれ、そのまま見ていると、画面は下町の時計修理職人の仕事場に切り替わった。

 老職人の語る、少々気になる話。

『長く修理をやっていると、ときどき不思議なことに出会います。

 修理しても、修理しても、とまってしまう時計がありましてね。こちらの勝手な妄想かもしれませんが、時計が持ち主を嫌っている、としか思えてならなかった。昔ながらの、手作りの時計なんかに、よくあります。

 そういえば何年か前に電波時計、というのが出て、これは、送られてくる標準時刻を光学的に受けて、一秒たりとも狂わない。正確無比なハイテク時計なんですが‥‥。

 どの時計も、秒針まで、まったく同じ進み方をするんです。こうなるともう、私たち職人が手を出せるのは、部品の交換か、製造元のメーカーに修理を依頼するしかありません。

 しかし毎日、同じ時刻に、全部の電波時計が、いっせいに時報を鳴らすのを見ていると、これでいいのかな、という気分になるんです。

 時計はもちろん正確にこしたことは無いんでしょうが、私はときどき、時計なんて、およその時刻がわかればいいんじゃないか、なんて、思ってしまうんですよ。

 持ち主を嫌って、年中駄々をこねている時計があってもいいんじゃないか、なんて。

 時計職人らしからぬ考えですけれどね。

 でも最近の正確すぎる、時間だけしか刻まない時計を見ていると、人間にとって時間というのは何なんだろうって、考えてしまいますね。 

  個人的には、時計はいつも少し狂っているぐらいがちょうどいい、と思っているんですがね 』

 我が家には、いまどき珍しい、手巻きのボンボン時計がある。定期的にエサをやらないと動かなくなる。その、どこか生き物っぽいところが好きで、20 年ほど前、あちこち探し回ってやっと手に入れたのに。

 かの時計職人の方の話を参考にすると、私はどうも、この安物の柱時計に、嫌われているらしい。

 6 日もたたないのに止まるかと思えば、忙しさにかまけて一週間以上ネジ巻きを忘れていても、平気で動いていたりもする。

 一日に5分遅れることがあれば、逆に5分以上進むときもある。だから朝、テレビの時刻を見て、時計の、本日のご機嫌を知るための計算をせっせとしなくてはいけない。

 天気のいいとき、悪いとき、暑いとき、寒いとき、好き勝手に進んだり遅れたりするから、私はいつのまにか、ひとつの時刻ではなく、前後30分ぐらいの時間の幅の中で、用事を考えるくせがついた。

 時間を、一点ではなく、ひとつの流れで見るとき、時計は、およその時刻がわかれば十分だ。これも時計職人の方の話に納得させられる。

 うちの時計が、何で私を嫌っているのか原因はわからないが、柱の高いところから一日中私を観察しているうち、日々の暮らしぶりのあまりのいい加減さにあきれ果て、こんなやつに正確な時間なんか必要ない、と思われたのかもしれない。そこはお互いさま、と言いたいんだけどね。

 まあ私は、電波時計のように正確無比な生活なんてとてもできないから、 我が家の時計は私に似て、少し狂っているぐらいがちょうどいいのです。 

 これが私を嫌っているらしい、我が家のボンボン時計。ちょっと明かりが足りなくて、写メールが不鮮明なのは許してください。

 ウチに出入りの若い衆 曰く、「一時間置きにボンボン鳴るだけじゃなく、30分おきにも鳴るんでしょ。うるさくない ? 」

 なーにをおっしゃいますやら。そこがボンボン時計のいいとこなんじゃない。目をつぶっていても時間がわかるのよ。家中、どこに居てもね。

 まあコイツは言わば我が家の生活のリズムを刻むメトロノーム。指揮者でもあります。春眠をむさぼりながら、あったかい布団の中で目をつぶったまま、『時間を聞く』というのも、なかなかオツなものですよ。

 

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『はつこひ』コラボレート写真詩23 [コラボレート]

(photo by silvermacさん 06.04.19「モネの花」より

 

            『 はつこひ 』

 

        ひざしの なかに たつひとは

          うすべにいろの はるのゆめ

          あまりに あはき はかなさに

          なみだつ むねの おさなさよ

 

          きみに であひし ひとときの

          うれしき はるは うつろひて    

          むねの おくより わきいづる

          はつこひの おもひ いとほしき

 

          きみの すがたの やさしさは

          てるひに ぬるる はるのあめ

          せめて せつなの ひとひらを

          写しとらむと ひざまづく

 

(詩作の背景)

 silvermacさんの写真ブログの中に見つけた、美しい桃色のチューリップ。優しく憂わしげなその風情に、まず浮かんだのが「初恋」という言葉。誰の胸の奥にもある、それだけに、他人から正面切って言われると妙に気恥ずかしくなるこの言葉を、どう表現すればいいのか、さんざん悩んだ末に、こんな形の詩が生まれました。

 この詩は、私が知るsilvermac さんの胸の内側に、密かに隠れ住んでいるに違いない少年への、勝手なオマージュです。このチューリップに恋したsilvermac さん、それがこの詩をこう書きたいと思った、私のイメージの背景なのです。わずかな命を生きる、そして2度と同じ姿に出会うことはないだろうこの桃色のチューリップは、きっとこれからずっとsilvermacさんの心の中で、枯れることなく永遠に生き続けるに違いありません。

←silvermacさんのプロフィールhttp://blog.so-net.ne.jp/ryofu/(『気ままにブログ』) 

         

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『はぐれてみる』 コラボレート写真詩22 [コラボレート]

                

      (photo by silvermacさん) 2006.4.20のページより

 

                『 はぐれてみる 』

 

      ある朝

      道ばたに ひとり咲く おまえを みつけた

      野を覆う にぎやかな仲間から離れて

      ひとり

      のんびり空を見ている おまえは

               なにを考えているのか      

 

      この晩春の ぬくもりのなかで

      のほほんと

      陽ざしを 独り占めにしている おまえを見ていると

      あくせくをやめ

      行く雲を数えながら

      おまえのように生きる方法もあるのだなと

      素直に思えた

 

      はぐれることをこわがって

      ずっと走ってきたが

      明日から 

      人間の時間で 歩いてみようか

 

      たまには

      群れるのをやめて

      はぐれてみるのも 悪くない

 

  (photo by silvermacさん) 2006.4.22のページより イシガケチョウ

 

(詩作の裏側)

 私の大好きなsilvermac さんのページにお伺いしたとき、この2枚の写真に出会いました。空を見あげる蓮華草を見たとき、最近、いろいろと考えさせられる出来事があって、いつのまにか俯きかげんに道を歩いていた自分に気づいたのです。私はあくせくと、いったい何を追いかけて生きているんだろう‥そんなふうに、と胸を突かれました。仲間は大切ですが、たまにはこの蓮華草のように群れを離れ、何も考えず、ただのほほんと一日を過ごしてみたい、と思ったのです。そのときの心のありようが、この「詩」のタイトルになりました。silvermac さん、ありがとう。

 みなさんも一度ぜひ、silvermac さんの暖かい写真のページをご訪問されることをお奨めします。  なお例のごとく、この詩も、日々推敲を重ねますので、明日形を変えているかも知れません。詩の完成がどういうものか、未熟な私にはまだ分りませんので、こうした方法を取ることを、どうかご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。

 

←silvermacさんのプロフィールhttp://blog.so-net.ne.jp/ryofu/(『気ままにブログ』) 

 

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『水のゆくえ』コラボレート写真詩21 [コラボレート]

  (photo by ドン亀さん 安曇野の4月より「安曇野湧水群」  http://blog.so-net.ne.jp/trout/ 

 

                「 水のゆくえ 」

 

     橋のない川の 岸辺で

     とりとめのない時間をすごした

 

     水のなかで

     ゆるい陽ざしが  やわらかくわらっている

     平和な ある午後のこと

     

     水のなかのわたしが

     こちらを見ている

     わたしはいつも  こんなふうな

     こころもとない目で

     人を見るのだろうか

 

     流れる鏡のなか

     わたしは

     京友禅のように  清流に晒(さら)され

     よけいなものを 洗い流される

 

     行く水を 追って

     わたしのなかから  出ていったものの正体を

     たしかめたくなったが

     それもせんないことと  草に体をあずけた

 

     だれもこない水辺のきわの

     ひとむらのすみれたちが

     いっせいにわたしを見る 

 

     そこここに春のにおいが立ちこめ    

     心が少し広がって

     なんだか しあわせになったような気がする

 

     こんな春の日の昼下がり

     あなたに

     ふと こう聞いてみたくなった     

     わたしはあなたを しあわせにできただろうか

 

 ( photo by ドン亀さん 安曇野の4月より「大王わさび農場」      

 

(詩作の裏側)

 水辺は私のいちばん心安らぐ場所です。ドン亀さんのブログの中に、この静かな流れを見つけたとき、私の周囲から、日常というものが消え去り、ほんのひととき、もう帰れないなつかしい場所へと、私をいざなってくれました。

 ごく当たり前の季節の移ろいが、こんなにも胸に染みとおってくるのは、自分でも気づかないうちに、心の中が乾燥してしまっているからなのでしょうか。優しい風景は、もう、探さないと見つからない時代になってしまいました。

(『ドン亀日記』より)

 この写真は、共に、ドン亀さんの「安曇野の4月」、というページからお借りしてきました。このところドン亀さんのブログ上では、信州の春が真っ盛りです。桜もやっと満開になり、巨大な枝垂桜も咲き誇っています。上高地へもバスが走り始めた‥ところまでは良かったのですが、先日また雪が降り、観光客の方たちが、吹雪の中を歩かされて可哀想だった、と書かれてありました。信州に春が来て、季節は次にどこへ移ろっていくのでしょうね。

   

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コラボレート写真詩⑳ 『オルフェの月』 [コラボレート]

(詩作の背景) 

 ギリシャ神話の中のオルフェは、死んだ愛妻ユリディスを取り返すために、地獄へと向かいます。そして見事取り返しはしたものの、黄泉の国から地上へ、船で脱出するとき、悪魔に約束させられるのです。地上に帰るまでは、船の後ろに乗っている妻を、決してふり返ってはならぬ、と。

 けれどオルフェは、愛する妻が本当に船の後ろに乗っているのかどうか、確かめずにはいられませんでした。そして、彼は、地獄まで追ってきた愛する妻を、再び失ってしまうのです。

 この詩は、命を賭けて大切なものを求め、再び失うオルフェの姿と、私たちの「生きる」姿を重ね合わせ、人の生の一瞬の思いを描こうとしたものです。

(photo by baldheadさん) 

 

            『 オルフェの月 』

 

     ふり返ってはいけない 

    それでもふり返らずにはいられなかった

    それはオルフェの罪だろうか

 

    わたしたちの船は行く

    オルフェよりも遠い

    はるかな旅路を

 

    昨日は終わり 

    明日は予測もつかない

 

    ひと時で消える水脈を引き

    見果てぬ水の上を

    私たちを乗せた 船は行く 

 

    ふり返ってはいけないものを

    オルフェはふり返った

    どうして

    ふり返らずにいられようか

    舳先から

    確かなものはなにひとつ 見えないのだもの

 

    失いたくないものは

    いつもどうして

    後ろに あるのだろう

 

    引き返すことも

    降りることもできない

    時の船のわたしたち

 

    オルフェの悲しみは

    わたしたちの道しるべ

 

    ひとりで行き

    ひとりで還ってゆくオルフェを

    静かに導く 黄金の鏡

 

    わたしたちもいつか

    それを手に入れることができるのだろうか

 

    月は笑っていま 頭上にある 

 

(作者からあなたへ)

 ある日、baldhead さんのブログに入ると、そこに黄金の月が輝いていました。土佐の夜明け、自然がほんの一瞬かいま見せる、神秘の輝きです。雨の日も、曇りの日も、月は本当は毎晩雲の上に輝いています。私たちが気づかないだけで。

 私は昨年、篠突くような土砂降りの高知空港を飛び立ちました。そして飛行機が暑い雲を突き抜けたとたん、雲海の上に輝く、巨大な満月を見たのです。それは胸を突かれるような、神秘の光景でした。月は毎晩、私たちの頭上に、煌々と輝いていることを、そのとき知ったのです。

 私はいつも詩を、何度も、何度も推敲します。だから今日見たこの詩が、3日後、一週間後に、大きく変わってしまうことは、よくあります。それはどうかご了承ください。

 どんなことでも、この詩の何かがあなたの心に届いたら、ひと言コメントをいただけると幸いです。 今日は、閲覧、ありがとうございました。   mama-witch

 

 ←baldhead さんのトレードマーク  baldhead さんのURL は下記の通りです。 

                               http://blog.so-net.ne.jp/hage1010/ 

(「季節の移ろいを肌で感じてます」より)

 この写真は、baldhead さんの写真ブログの、カテゴリー「お空」の中の『月4様』からお借りした「かえりみすれば月かたぶきぬ」という一枚です。

 自然はほんとうに神秘。こうした月に実際にめぐり合えるのは、生涯でそう何度もないのではないでしょうか。私はbaldhead さんの撮る月を、いつもこっそり掠め取る「月盗人」です。

 

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あの移動映画館はいまも北海道を走っていますか? [考えさせられた話]

      

     (2005年3月13日(日)のノートから) 

            その人は78歳。

        名前は、西崎春吉さんという。

あまり娯楽設備のない北海道の遠隔地で暮らしている人や

            子どもたちのために

           函館のアパートを拠点に

       32年間も移動映画を映し続けている。

    総重量600kgもの映写機械をライトバンに積み、

        冬は極寒となる北海道のあちこちを、

     車内に寝泊りしながら、今はたったひとりで‥‥。

 

<パートナーを亡くして>

 西崎さんは3年前、最大の協力者であり、最良のパートナーでもあった奥さんを亡くした。それまでずっと二人三脚でやってきたのに。

 すっかり気落ちした西崎さんは古希を越えた自分の体のことを考えた。

 映写機械は総重量が600キロもある。奥さんと云う協力者もなく、ひとりで続けていくことは難しい。

 西崎さんは、ついに、この重労働に終止符を打つことにした。

 しかし暫くして、生活の中から何かがすっぽり抜け落ちてしまったような感覚に襲われた。それは、生き甲斐を無くしたような、やりきれない寂しさだった。

 ひとり庭を眺めながら、西崎さんは思った。自分を待っていてくれた人たちのこと、何より子どもたちのあの喜びの笑顔を。

 体が本当に動かなくなるまで、続けてみよう。

 西崎さんは立ち上がった。そして再び、古いライトバンに乗り込んだ。重い重い映写機械を、ひとりで積み込んで。

 西崎さんのライトバンが走り出す。沢山の人たちが待つ、北海道の村や町に向かって。

 

<たった2人の子どものために>

 映写場所は、訪れた街の公民館や、公共施設。本来、映画を見せるような場所ではない。そのため映写機械の設置やスクリーン張りなど、西崎さんの労苦は大きい。

 それでも、映画に触れるチャンスの少ない、地方の小さな村や、離島に住む子どもたちのために、西崎さんは出かけていく。ライトバンに寝泊りしながら。

 真冬、極寒の北海道では、ほとんど客が来ないときがある。来ないというより、来られないのだ。大吹雪のときなどは。

 でも西崎さんは、凍える手に息を吹きかけ、吹きかけ、全ての準備を整えて客を待つ。決して中止にすることはない。

 「一度休むと、次からの信用を失う。特に子どもたちの。雨が降っても、吹雪いても、必ず映画を見せてくれる、そう思ってもらうために、たとえ観客が一人でも、ぼくはやります」

 事実あるとき、もう誰も来ないのかと思っていたら、開演間際、子どもが二人、兄弟でいそいそとやってきたことがあるという。

 「子どもたちがね、映画に見入って、一時間も二時間も、微動もせずにスクリーンを見つめています。それを見ていると、本当に感動するんです」

 西崎さんは、その喜びと感動のために映画を映し続けているのだ、と笑う。

 

<吹雪の奥尻島へ>

 その日、港は吹雪いて、船は欠航した。

 ライトバンの中で二日間待って、西崎さんは奥尻島に渡った。

 移動映画の上映予定日は二日間遅れた。

 島の中を、新しい上映日を知らせながら、西崎さんのライトバンが走る。

 車の上部に取り付けた、手作りのポスター看板と小さなスピーカー。それがこの移動映画館のPR方法の全てだった。

 島を走りまわったあと、西崎さんは映写の準備を全て整え、じっと島民がやってくるのを待った。11年前、初めてこの町に来たときのように。

 6時30分。まず子どもたちがやって来た。

 映画を、テレビやビデオ以外で見たことのない子どもたちが。

  あの大地震で壊滅した奥尻の町に建った、新しい、立派な市民センター。その座席が、子どもたちの笑顔で次々に埋まってゆく。

 そして‥‥、

 「私も子どものころ、このおじさんが映してくれた映画を見たんです。なつかしいなぁ」

 大人になり、子どもの父親になった男性や女性が、そのころの自分と同じくらいの年頃になった子どもたちを連れて、眼を輝かせながら座席にすわる。

 凍てつく奥尻の町が、西崎さんの映す映画の熱気に包まれていく。

 

<観客は西崎さんと同い年‥‥>

 ある日、老人センターの要請を受けて、西崎さんは出かけた。観客は、西崎さんとそれほど年の違わない人々。

  西崎さんが選んだのは、戦争をテーマとした、昔の日本のコメディ映画。

 見終わった一人の老人が、笑いながらこう言った。

 「戦争はあんなもんだよ。弾に当たらないように戦うんだ」

 上映が終わった後、西崎さんは観客に向かって語りかけた。

 「ぼくも、皆さんと同じ年なんです。でも、おかげさまで今もこうやって働いています。皆さんも、がんばってください」

 どんな介護より、どんな治療より人の心を癒す、西崎さんのハート・ケアだ。

 

<本当に好きなことをして生きるのは‥‥>

 西崎さんは移動映画の旅に出ると、何ヶ月も家には帰れない。

 久々に帰ってきたとき、奥さんの仏壇に向かいながら、西崎さんは云う。

 「お前、俺をまだ迎えに来るなよ。あと10年は迎えに来るなよ。まだやりたいことがあるからな」

 西崎さんは少年のような目をして、こう云う。

 「映画は夢を見させてくれる。もちろん現実は、映画みたいにはうまくいかない。でも、本当に好きなことをして生きるのは、人生として最高だと思うよ」

 お元気ならば西崎さんは今年78歳。

 西崎さんが、命の続く限り、といったこの小さな移動映画館は、北海道のどこかの小さな村や町を、今も走っているのだろうか。

 あの暖かな命の映画館は‥‥。

 

(追伸)

 このブログをたててから、西崎春吉さんのことがweb上でたくさん取り上げられていることを、『ドン亀日記』のドン亀さんが知らせてくださいました。さっそく”西崎春吉”さんで検索したところ、本当に沢山の方々が、彼と彼の移動映画館について書かれていらっしゃいました。

 西崎さんは、いまも元気で張り切って移動映画を続けていらっしゃるようです。本当によかった。いつまでもお元気で、がんばってくださることを、心から応援したいと思います。西崎さん、がんばって! 

            

 

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2004 (第15回) 
相澤さん 「中田鉄治さんの夢を引き継いで<鉄っちゃんシネマ大賞>」
第1回受賞者
 西崎春吉さん(函館市)
■道南を中心に、29年間、映画館の無いまちで公民館などを使った「移動映画館」を開設し、映画上映を続けている。
昨年死去した妻の芳子さんと、夫婦2人3脚で行ってきたが、芳子さんに
先立たれてからはたった独りでまちを回る。
公民館などの会場予約からチラシ配り、もぎりまで
全部自前。機材一式をワゴン車に積み込み、旅先では車中泊しながらの上映を行う。
「人からは
『もうからないのに、ばかでないか』と言われるが、やっぱりみんなの喜ぶ顔が見たくて」と話す。
中田鉄治前実行委員長とは10年程前に1度会い、映画の話で盛り上がった。
中田さんも「あん
たも映画好きだなあ」と感心して言ったという。
■今年1月23日放映のNHK総合テレビ「北海道スペシャル」で奮闘ぶりが取り上げられ、お茶 の間に太きな感動を届けた。
■「いつまでも『映画のおじさんと呼ばれたいので、年齢は公表しません』というところは、いか にも夢を運ぷ映画人らしい一面だ。
■「ゆうばり映画祭なんて、自分には縁が無いと思っでいたのに、こんな風に認めてくれて、本当 にうれしい。
カが湧いてきた。死ぬまで上映をやります」と感激している

※西崎さんについての上記の文はゆうばり国際ファンタスティック映画祭2004公式カタログより 夕張映画祭は2月19日~23日に行われました。

(以上の写真と文章は 『ゆうばり国際映画祭2004鉄っちゃんシネマ大賞』よりお借りしました)    

 (トピックス)

 北海道で実際に、西崎さんの移動映画を体験されたという、フクフク丸さんから、この記事に関するコメントをいただきました。(コメント欄をご覧になってください。) かつて自分も観たという移動映画に、お子さんを連れて、20年ぶりに出かけられたというフクフク丸さんの、感動にあふれたブログを、皆さんにもぜひご覧になっていただきたく、彼のコメントの下の「フクフク丸のあずましいblog:移動映画。」のURL からお入りになることをお奨めいたします。

(本記事内にURL を移動しようとしたのですが、フクフク丸さんのブログへの移動が何故かうまくいきませんので、とりあえず彼のコメントの下に紹介されているURLからお入りください。)

 

(その他の記事はこちら。リンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)

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ホタルの木 です。『2000年のノート』から。 [考えさせられた話]

   写メール、不鮮明でごめんなさ い。

 6年前。古い話です。記憶も定かではありません。でも、ノートにはこう書いてある。尾川正二( マサツグ)著 『極限の中の日本人』という本の中に、"蛍の木"というのがある、と。

 2000年5月10日(水) NHK 『地球に乾杯 「黄金の樹を見た~ホタル1万匹の大発光」』が放映されたようです。

 確かに見た記憶はあります。でも6年も前のこと。記憶はおぼろ。だから、ノートに貼ってあるTVガイドの切り抜き(写メール参照)を、丸写ししてみました。

『パプアニューギニアの熱帯雨林の中、闇夜に神秘的な光に包まれる不思議な樹がある。この光の正体は、エフルゲンスという固有種のホタル。

 大集団で同時に点滅したり、滝のように流れたり、渦を巻いたりして、不思議に光るホタルを、人々は、森の精霊の使いとして、崇めてきた。

 なぜ一本の樹に集まり、一斉に輝くのか?

 人々が大切に守るホタルの樹のナゾに迫る。』

 おお! 自分で自分のノートに刺激を受けてしまった。さっそく「ホタルの木」探訪を開始しよう。

 

<インターネットって‥‥> 

 まずは、ホタルの名前 「エフルゲンス」 の検索から。

 出てきたページの中から選んだのは、当然、「地球・ふしぎ大自然」のホームページ。ありました。私のメモよりはるかに詳しく、「ホタルの樹」について。

 だからその内容ををくだくだしく書くより、ダイジェストをほんの少しのほうが。

「撮影場所は日本から南へ五千キロ、赤道直下の島国・パプアニューギニアの中のニューアイルランド島にあるラムスムス村。

 新月の夜、この村のジャングルの中に建てられた古い教会の傍のマンガスの樹に、1万匹を超えるホタル(学術名はプテロプティック・エフルゲンス)が集まり、壮大な点滅を繰り返す。その様子はまるでクリスマスツリー‥‥」

(もっと詳しく知りたい方は、NHKのホームページをどうぞ。)

 バカな私はさっそく画面を写メール。いつものように不鮮明ですが、こんな画像を載せてみました。そしてついでに、昨年新宿高島屋の前で撮ったクリスマス・イルミネーションの写メールを、添えたりして。

   

 左側がホタルの樹。右側が新宿高島屋前のクリスマス・イルミネーションです。なるほど。でも、こんなに簡単に「知る」って、なんだかつまらない‥‥そう思ってしまったのは私のワガママでしょうか。

 こういう事実を知る前、私は心の中にとてつもない妄想を広げ、行ったことのない南国の未知の夜空の下、光り輝く「ホタルの樹」に、無限のファンタジーを感じていました。

 6年前心惹かれ、古いノートのこのページを開くたび、それこそ胸躍らせていたのに。胸躍らせていたものの実体を、妙に正確に、きちんと、知ってしまったいま、私の中から「不思議」の種がひとつ消えてしまったような、ひどく寂しいこの感覚はなんでしょう。

 知らなきゃよかったとは決して思いません。

 でも私は多分、いまでも月にウサギはいる、と思っていたいタイプなんです。シビアな現実より、夢と空想の余地を残した”不思議”のほうが好き。

 お話作りを生業とする私は、インターネットの素晴らしさの裏にある、なにか怖いものを見てしまったようで、落ち着かない気分です。

 

<「ホタルの木」に惹かれる人との出会い>

 知りたいことをアッというまに知ってしまったので、さて帰ろうとホームページを閉じたとき、もとの検索ページに、こんな言葉を見つけました。

だから僕はもう少しここにいることにするよ」 

 え ?  どうしてホタルのページに ?

 ためしに入ってみました。出てきた記事のタイトルは「ホタルの木」。

 おお 、ここにも! 

 読み進むと、NHKの情報とはまた違った角度から書かれた記事。私と同じ、個人的な思いから生まれた興味と関心があふれていて、とても面白い。

 でも、ホタルに続く記事の後には、彼の静かな日々を語る、静かな言葉が並んでいたのです。

 ブログの主は、もと花屋だったMakoteeさん。30代の男性。読み進むうち、「one  pice」というタイトル記事の中に、こんな記述が‥。

「本屋さんで、つい最近発売されたDVDを買った。「胸心術」という心臓手術の一部始終を収めた映像だ。自分の受けた手術がどんなものだったのかを知りたいとずっと思っていて、ちょうど大動脈弁への人工弁の装着過程が見られると知って買いに走った。

 映像を見ていると、かなり衝撃的でもあり、自分の心臓の辺りがズキズキ痛むような気がしたが、実際ちょっと痛かったが、それでも見ずにはいられなかった。人工血管を使う場面以外、ほぼ自分が受けた手術内容と同じ内容だった。病院で手術を受ける直前まで、いくら調べても、何度説明を受けても、不安と恐怖で活きた心地がしなかったから、事前にこういうものがあったら少しは気も楽だったかなと思った」

  彼には、10才年上の電波さんという友だちがいて、ときどき電話をかけてくるのだそうです。その電波さんが最近、13年も連れ添った愛犬を亡くし、ずいぶん元気を失くされている‥‥。

 彼自身、友人に「なんで別れなくちゃならなかったの?」と聞かれる、パートナーとの別離を経験していて、そのことを「長い鎖のようにいつまでも続くと思われた苦しい日々は、知らぬ間にいつか終わった。哀しみは湖の底に沈んで、手を触れることも出来ないほど遠ざかっていった。」と述懐されています。

 「ホタルの木」の記述に続く、電波さんと彼とのやり取りは暖かく、ほんとうに胸を打たれました。

 彼の部屋を出て、今度こそ自分のブログに帰ろうとしたとき、ふともうひとつの「ホタル」に気づきました。タイトルは「ホタル裏日記

 ついでに、と入ってみると、これが例のNHK「地球・ふしぎ大自然」のディレクター氏によって書かれた、取材裏話。

 2004年2月23日に再び放映されたらしい「ホタルの木」の取材を担当したディレクター氏の話は、別の意味で、と胸を吐かれる思いでした。

 実際に現場を調査してまわった彼の話は、画面には決して現れない、いわばボツ話。でも、マラリア蚊やダニと闘い、鼻をつままれても解らない闇の中、ドロにまみれながら光の精の子どもたちを探し回るカメラマンの姿や、「ホタルの木」と共に生きているからこその村人や子どもたちのエピソードは、気楽な観光客気分で、世にも珍しい「ホタルの木」に興味を寄せていた私の頭がガツンとやられるのに十分な、意味と内容にあふれていました。

その中のひとつ‥‥‥

<消えていく ホタルの木>

 この話は全文紹介させていただきたいと思います。

『条件さえよければ、ほぼ一年中見ることができるホタルの木ですが、いま急速にその数を減らしています。

 (横須賀市 自然博物館の)大場信義さんは、これまでに何度もパプアニューギニアで調査をしていますが、訪れるたびに観察できる場所が減ってしまっているそうです。

 大きな原因は、木材輸出のための伐採です。

 ホタルは、森の中でも高く目立つ木に集まります。当然そんな大きな木は、一番に目をつけられて、伐られてしまいます。一度木が無くなってしまうと、ホタルたちの出会いの場がなくなるため、そのあたりのホタル自体がいなくなってしまうのです。

 筆者注 : 2000年の私のノートには、こうメモってあります。

☆日本の木材会社が森の伐採権を買い、一年に50万本もの木々を伐り倒している。ホタルの集まるマンガスの木は利用価値が高いため、真っ先に伐り倒され、ラムスムス村ではもう、村の古い教会のそばの一本だけしか残っていない。

 ところが最近、ホタルの木に対する、もっと深刻な脅威があることがわかってきました。それはなんと「光」です。

 自分以外の光に非常に敏感なホタルたちは、周囲が明るいと、光るのを辞めてしまいます。つまりオスとメスは出会えず、子孫も残せなくなります。

 脅威は意外な盲点でした。普通は田舎道に街頭がつくぐらいのことで、自然が破壊されるとは思いませんよね。

 今回の撮影で、夜というのは「闇」の世界なのだ、と改めて気づかされました。パプアニューギニアも、最近では大きな町にはかなり電気が通うようになっています。それでも東京の夜とは比べ物にならないほど暗いのですが、周辺の予想外に広範な土地で、その光の影響を受けていたのです。

 もちろん、電気のせいだけではありません。

 私たちが訪れた村にも、大場さんが以前調査をした大きなホタルの木があったのですが、今回はまったくホタルが集まらなくなっていました。なぜかというと近所の家の一軒が「ランプ」を買ったからでした。

 村では、ランプを持っているというのはステータスなのか、毎晩軒先に吊るしたようで(ホタルが消えたのは)その影響だったのです。

 夜でも明るく便利な暮らし。現地の人たちが今後そういった豊かさを手に入れたいと思うのは無理のないことで、それをとどめることはもうできないでしょう。

 しかしいつかパプアニューギニアにくまなく電気が通ったら、ホタルの木は地球上から消えてしまうかもしれません。』

 たったひとつのランプの灯りに対応できず、消えていくホタルたち。

 この事実は、『夜』という言葉の意味を見つめ直す機会を、私に与えてくれました。このディレクター氏も言っているように、夜とは『闇』なのです。どんな明かりもない、自然の、真の闇の中でこそ、ホタルたちはお互いのかすかな光を見つけ合うことができる‥‥。

 いつだったか、大接近した彗星群を見にいったことがありました。私が住んでいるのは原宿。ネオンこそありませんが、いつも、星などひとつも見えないほどの空の明るさ。到底ムリだろうと思いつつ、流星雨と言われるほど大量の流れ星見たさに、駄目を承知で近所の代々木公園へと出かけたら‥。

 原宿駅までは、星などひとつも見えません。でも駅を離れ、代々木公園、つまり街灯を頼りの都会の暗闇に近づくにつれ、星が姿を現し始めたのです。

 公園の中は、真っ暗ではもちろんありませんが、竹下通りや原宿駅前とは比べ物にならない暗さ。見上げれば、都会にもこんなに星があったのか、と驚くぐらい、星が輝いていました。流星よりも、そちらのほうの驚きが強かった‥。

 ホタルの光がランプの灯りに負ける、わかるような気がします。

 <お願い、私が行くまで消えないで>

 「ホタルの木」というファンタスティックなキーワードに惹かれ、いそいそとインターネット観光に出かけた私。でもそこには、求めていた情報よりはるかに多くの”驚き”や”夢”や”現実”が隠れていて、私を考え込ませてくれました。

 日本の源氏ボタルより二まわりも小さいという”プテロプティックス・エフルゲンス”(下図が、NHH『地球 ふしぎ大自然』からお借りしてきたエフルゲンスの写真です)。彼らが作り出す「ホタルの木」が、どうか地球上から消えてしまわないようにと、祈るばかりです。

                  

 

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アイルランドで日本語を ?『 2002年のノート』から。 [考えさせられた話]

私の手元に、古びて端のめくれ上がったものから順に、12冊ばかりの大学ノートがあります。俗に言う゜制作MEMO」ってやつ。

 ノートの中には、童話や小説のアイデアやら、TV番組からのメモ、新聞・雑誌からの切り抜き、人の悪口、自分への反省文、映画や展覧会のパンフレットに、自己流の書評、辛口のエッセイ 爆笑問題 等々、ありとあらゆる心の引っ掛かりが、テンコ盛りにメモってあります。

           

 一冊が、大体一年分。

 その中の一冊 、2002年度版を見ていたら、こんなことが書いてありました。これは多分、TVニュースからの走り書きでしょう。ちょっと面白いので、書いてみます。

『アイルランドでは、今年から、全国300ヶ所の小・中学校で、新しい言語を学ぶ対象として、「日本語」を取り上げることになった。

 これは、欧州や米国とはまったく異なる言語であることが取り上げる理由で、こうした、自分たちが日常的に使う言語とは、基本的にまったく異なる言語を学ぶことで、逆に、母国語を強く意識させ、言葉を正確に理解することの大切さを、実感させることが目的である。

 他国語を学ぶときもっとも重要なのは、母国語を正確に理解することで、母国語を正確に使いこなすことのできない者は、他国語をも理解できない』

 というもの。

 そういえば2002年は、1月1日から、ヨーロッパ共通通貨のユーロが使用され始めた年。

 通貨の垣根が取れれば、各国の人々はそれまでよりもっと自由に行き来するようになり、文化もまた自由に行き来し始める。そうなれば、国家の個性というものが希薄化することは、十分に考えられる。

 日本が開国してから、洋風文化がなだれ込み、100年以上たった今では、その風潮はますます進んで、今や日本の文化や歴史さえ、ろくに知らない若者が増え続けている‥‥。

 特に言語。

 若者言葉も流行語も、英語も決して、悪くはないけれど、それと同等に、美しい日本語、というものも大切にしてほしい、と思いません ?

 こんなことがありました。

 ある日我が家の電話が鳴り、出てみると、若い女性の声で、英会話スクールの勧誘。

 国際化社会を迎え、今インターナショナルな言語を学ばなければ、社会の変化についていけなくなりますよ、と脅迫めいた口調です。

 少々カチンときた私は、こんな質問をぶつけてみました。

「ねえ、あなたは英語、できるの ? 」

「ええ、もちろん。いまお奨めのこの英会話スクールで、私も学んでいますから」

「そう、ではね、あなた、その素敵な英語力を使って、外国の方と、どんな会話をなさるの ? 」

「えっ、そりゃもちろん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「外国の方に、歌舞伎や能や、日本の伝統工芸について聞かれたら、あなた英語で、どんな風にお答えするの ? 日本の歴史や政治・経済、いえ、日本のあれこれに限らず、世界の情勢や、あなた自身の未来について、あなた自身の考えを聞かれたら、どんな風に答えるのかしら」

 電話は、いきなり切れました。失礼な !

 日本人が、日本語を使って質問しているのに、ろくな答えも返せない人が、英語学んでどうすんだ ! と、しばらくプリプリしていましたっけ。

 アイルランドの方たちは、きっと、こういうことを考えたのでしょうね。

 まずは母国語を意識させ、どんなに外国語を学んでも、その内容、つまりちゃんとした会話ができなければ意味がないと。

 だからアイルランドの人たちは、日ごろ接する機会や情報も少ない、遠い遠い日本の言葉を、小・中学生たちに学ばせながら、この国の人たちとどんな会話をすべきなのかを、強く意識させ、母国の大切な文化や歴史を、興味と目的を持って学べるように、母国語で、ちゃんと教育しているのではないのかしらん。

 高校時代、学校で行った歌舞伎見学で、担任の国語の先生が、大きな口を開けて居眠りしているのを見て、がっかりしたことがある。

 ウチの子どもが小学校に入った直後のPTAで、何かご希望は ? と聞かれたので立ち上がり、子どもが単語だけで、たとえば「先生、おしっこ」とか言ったら、「お手洗いに行かせてください」と、ちゃんとした言葉に直して返し、人と会話する基本を教えてください、と言ったら、あの親はうるさい、とブラックリストに載せられた。

 別の機会のPTAで、「ウチの子は漫画ばっかり読んで、ぜんぜん本を読まないんです。どうしたら本を読むようになるんでしょう」という質問が出たので、またまた立ち上がり、「それはやっぱり、まず親が読まなくては。子どもは親の真似をして育つものですから、あなたがたくさん本を読めば、お子さんはきっと真似をして本を読むようになると思いますよ。家庭にまずたくさん本が増えるでしょうし」

 他の方が、「ウチの子はまるで勉強しないんです。どうしたら‥‥‥」「そりゃやっぱり、まず親が子どもの前で、勉強している姿を見せなくては。子どもは何で自分だけ‥と、言うこと聞かなくなると思いますけど」

 これでPTAの方たちからも、仲間はずれにされてしまった。なんで ?

 子どもたちを集めて、絵と作文を教えていた時期があった。私はまず子どもたちに、うんと面白い、楽しいことを体験させ、「さあ、いまのを描いてみよう。書いてみよう」とやった。

 これは子どもたちに大ウケ。で、「先生、なんで日曜日、お休みにするの ? 」と、責められた。

 一週間に2日間、という約束の教室は、毎日通ってくる子どもたちであふれ、日曜日もみんな遊びに来て、しまいには、まるで、遊園地か児童館状態。でもこの毎日は、私もほんとに楽しかったけど。

 つまりは、話したいことがなければ、英語も日本語も意味がなく、描きたい何か、がなければ、クレヨンも鉛筆も、何の意味もない、と言いたかっただけですけどね。

 そうそう、ノートの端っこに、こんなことがメモってありました。

「理解できたことは、たとえ身振り手振りでも、伝えられるし、表現できる。でも、知らない、解らないことは、いくつ言語を知っていても、宝の持ちぐされ」

 青い文字の部分は、いまから4年ほど前、4月25日(木)のページからでした。

   

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