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『エロスの酒場』―物書きの独り言15 [エッセイ]

          『エロスの酒場』

この話は、mixiブログで展開している「物書きの独り言」と称するシリーズ読み物の中のエッセイ5連作の第三話です。1967年辺りから1970年代前半にかけ、20歳になったばかりの一美大生であった私が、文化人たちがたむろすることで有名だった新宿ゴールデン街片隅にあったバラック酒場「もんきゅ」でアルバイトをしていたころ見聞きした、さまざまな人々のさまざまな人生模様。第三話では、生まれて初めて、大人の禁断の性愛の世界に触れて、びっくり仰天した私の話。でもそうした世界に触れたことで、エロティックな世界にも、三大哲学のひとつ「美学」というものがあることを知り、文学の世界に足を踏み入れるきっかけにもなったのでしょう。三島由紀夫の自決事件は、本当に衝撃でした。お読みになったあなたの感想を聞かせていただけると幸いです。

                
              新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街の酒場は、どれも2階・3階建て。
火をつけたら、一瞬のうちに燃え尽きてしまいそうな、“バラック酒場”。
そういう表現がぴったりの、安普請のマッチ箱みたいな店が、今もズラリと並んでいる。
そういえば、今どき珍しい三階建ての酒場など、昔の“青線”の名残が色濃く残っていて。
店が立て込んでくると上げられる3階部屋など、まことに怪しげな雰囲気なのである。
まず、天井が低すぎて、常に腰を曲げていないと頭がぶつかる。
つぎに、窓がない。
冬は暖かくていいけど、夏は地獄だったんじゃないの、ねぇママ。

「昔はさ、1階、2階でちょいと飲んで、それから3階に上がって、座布団引いて、チョンの間、遊ぶんだからね、そこは横になれればいいんだよ。窓なんかあったら、女の子が逃げちまうよ」

そんな歴史を持つ街にあるBar “可愛いお尻”・・・・・。
“もんきゅ”で私が、一年あまりアルバイトをしていたときのお話第3夜。
そして今回は、この店で手に入れた、お金では買えない宝物の話も少々・・・・・。

     
■パリの女郎屋とSMの話

3坪あるかなしかのちっぽけなこの酒場には、店主シュンさんの悪趣味がそこここに紛々と臭って、パリの裏町の女郎宿のような雰囲気が漂っていた。
まずゴールデン街名物の垂直に近い階段を、手すりに掴まりながら昇り切り、ドアを押し開ける・・・・・。

と、眼と鼻の先の正面の壁に、男性用の便器がデン。
便器には、怪しげな店につき物の枯れた薔薇の花束。
上からは小さなスポットライト。
その光の中に、向こう向きにひざまづき、お尻を高く持ち上げてこちらにグイと突き出している、女性の下半身が・・・・。
つまり壁の中に上半身を埋め込まれた金色の“もんきゅ”が、スポットライトの光の中であなたをお出迎え、という趣向。
初めは真っ赤なハイヒールを履かせていたそうだが、あまりにしょっ中盗まれるので、終に裸足になった、という曰くつきのシロモノ。
この壁に沿って洗面所があり奥が本物のトイレ、とここまでは、さほど珍しくも無いありきたりの店舗演出、なのだが。
凄いのは実は入り口入って左手のカウンター!
太くて重い鉄の脚の付いた、赤いビニールのスツールが7つ並ぶ、このガラス敷きのカウンターには・・・・・!

「(げっ)・・・・・・・・・!!!」

「気にするな」
気にするって!だってそのガラスの下には・・・・・。
「ここ、これ、ワイセツブツチンレツザイに引っかかるんじゃ・・・・・」
「未成年なんかこないから」
「た、確かに・・・・」
「警官も来ないから」
「そ、そうかなぁ」
「気にするな」
いわゆるSM写真・・・・それも全く修正なしのハードなヤツが、カウンターの端から端までズラリと貼り込んである。
ただし、その全てが「明治・大正・昭和初期」のモノクロ写真。
「いいだろ」
「い、いい・・・・って」
感想なんか言えませんとも。
このヒトとあのヒトのカラミ具合がいい、なんてっ!
「色っぽいだろ」
「え、まぁ・・・・・・」
「芸術だろ」
(えーっ)
私は生まれて初めて、超ハードな「SMポルノ写真」というものを見た。
この初体験が余りにも強烈だったので、ショックを受けた頭の中の水分が、喉が渇いたときみたいにすっかり干上がり、キシキシ鳴っていた。
(こっちの足とあっちの足が、そっちに行ってて、手がこうで・・・・足がああで・・・ん、何でこんなとこと、あんなとこに、そんなものが?????)
拒否反応、なんてものは無かったが、あまりに魂消て混乱したことは間違いない。
つまり私は“そういう世界”に、ろくな予備知識も、免疫もないまま、リアルな実感から入ってしまったのだ。
そんな私の反応をじっと見ていたシュンさんがひと言言った。
「ドガは調教次第だな」」
えーっ、それってどういう意味ですかっ!
「ノーマルだからな。資質は半分づつ持ってるってこと」
半分って・・・・?!
「ちょっとしたきっかけで、50㌫は70㌫になる」
うそっ! 70㌫ってすっごい数字のような気がする・・・・!!!
「まあ、もう少し刺激してみるか」
ぎゃっ、やめてーっ!
ま・・・・軽くカラカわれた、ってことですか。

しかし、シュンさんの趣味の世界は、こんなものではなかった。


■責め絵に緊縛、シュールレアリズム!

                              伊藤晴雨/画

「これ、知ってるか」
「げ、何これ!」
妊娠中の女の人が、腰巻一枚で梁に吊るされ、ザンバラ髪で悶え苦しんでいる浮世絵!
もちろん1枚や10枚じゃない。
「明治の浮世絵画家、伊藤晴雨」
「・・・・・・・!」
「責絵だよ」
「せ、セメ絵・・・・ふっ、ふっ、ふーん・・・・」
「モデルはお葉さん。知ってるだろ、美大生なら」
「はァ????」
「ずっとあとで、竹久夢二の恋人になった」
「えーっ、夢二のあの“黒船”のモデルのお葉さんが、セセ、セメ絵のモデルッ!」
黒猫を抱いた、睫毛の長い、楚々とした美人のお葉さんが、腰巻ひとつで縛られている・・・・!
「お葉さんが晴雨と結婚したのは12歳ぐらいだったそうだ」
「12歳・・・・!」
また頭の中が、ヒートして、ショートした!

シュンさんは、いちいち魂消る私をからかうのが面白いらしく、客が途切れると、ヒマ潰しに次々といろんなものを見せ、聞かせ、ついでにレクチャーもしてくれる。
別に頼んでなんかないのにさ・・・・・。

基本、無口な人だから、言葉数は決して多くないし、唐突だし、ブッキラボーだったし、シュンさんの趣味の世界に、一方的に偏ってはいたけれど。
インターネットなど無い時代、普通の大学生の変り映えしない日常生活では、到底お目にかかることも、触れることも出来ない、男と女の金襴緞子の世界が目の前に広がってゆく。

「これ」
差し出された写真集は・・・・・・ぎくっ!
「団鬼六」  


「※※※※!※!×!※!×?※?×?××××」
「緊縛作家」
つい最近、杉本彩の主演で評判になった『花と蛇』の原作者である。
そんなもの、あることも知らなかった女子大生の目の前に、さあこれでもか、とあらゆる縛られ方のあられもない姿で悶えている、裸の女性たちの写真!
もちろん無修正!
「ボ、ボボ、ボンレス・ハムだね!」
一応、平気なフリ・・・・・。
「そこがいい」
「痛そう・・・・」
「それがいい」
「シュンさんは、エロジジイだっ・・・・」
「エロティシズムと言い直せ」
(似たようなもんじゃんっ・・・・・怒!)

シュンさんには妙な下心なんか全く無い。
どんなに際どいものを見せても、際どいことを言っても、サラリとしていて透明で、照れることも、恥じることも無く、堂々としている。
だからこっちも同じように、照れることなく聞いたり、見たり出来るのだが。
でもその内容たるや、R18指定どころの騒ぎじゃない。
男と女の間の、それこそ引っ繰り返りそうな話を、微に入り、細に穿ってされるのだけれど、どんな話も、まるで大学の講義を受けているみたいだった。
(それでも、その内容は、とてもここでは話せない・・・・・すみません。)

せいぜい、こんなもんでお許しを・・・・。
「シュンさんも・・・・・こんなのやるの?」
「やる」
「へっ!」
(あの綺麗な奥さんと?????)
シュンさんはカンが鋭い。
「女房とはやらない」
「あ、はぃ・・・・・(頭の中が見えたのかぃっ)」
(じゃあどこで、誰と“ヤル”んだろう?)
「気にするな」
「うわっ、はぃ・・・・・」
(恐っ!)
純真な女子大生の頭の中には、とてつもない妄想が広がっていったとさ。
当然だけど。

ただし、シュンさんの名誉のために言っておかなくてはいけない。
彼の話は決して、こういう卑猥なものばかりではなかったことを。
「シュール・レアリズム、知ってるか」
「ジャン・コクトーとか、キリコの絵とか、ルネマグリットやダリの絵とか?」
曲がりなりにも現役美大生。
いつも負けっぱなしではない。あらん限りの知識で食い付いていく。
「フン。阿部公房読んだか」
「“砂の女”とか“箱男”は読んだ」
「フフン、漫画は?」
「漫画、好きじゃない」
「つげ義春の“ねじ式”を読め。シュールだ」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5#.E3.80.8E.E3.81.AD.E3.81.98.E5.BC.8F.E3.80.8F.E4.BB.A5.E9.99.8D.EF.BC.881970.EF.BD.9E.E7.8F.BE.E5.9C.A8.EF.BC.89

いま私の本棚には、“ねじ式”を始め、つげ義春作品のいくつかが並んでいる。
そして、こんな話をするのは、シュンさんばかりではなかったのだ。

“もんきゅ”の常連さんたちには、映画評論家や哲学者、大学教授、作家、文芸評論家、新聞記者、劇作家、役者、画家といった多彩な顔ぶれが揃っている。
そういう人たちの話題は、広くて、深い。
お酒が入り、興が乗ってくると、それぞれの得意分野を土台にした、それこそあらゆるジャンルの話が飛び出してくる。


■知の横綱たちとの一夜

あるとき、東北大の心理学の教授と、映画評論家の佐藤重臣さんと、作家の澁澤龍彦さんが、性愛に関する男女の異常性心理について激論を戦わせたことがあった。
無論、お三人にとっては、お酒を飲んだ上での、ただの雑談だっただろうけれど。
ただの雑談の中身が・・・・・凄い!
その知識の広さ、深さ。
分析の確かさ。
比喩の巧みさ、
論理の見事さ。
いくらへっぽこ女子大生でも、これがどれほどのレベルの話なのか、わからないはずがない。
これほど凄いメンバーの、こんなに凄い討論会は、後にも先にもこれ一回きりだったけれど、私はこの夜、この一流討論会の場に朝方まで居られたことを、一生の宝物として、胸の奥に大切に仕舞い込んである。

横綱は、ぐでんぐでんに酔っ払っても横綱である。
素人が束になってかかっても勝てるものではないし、横綱の相手は、横綱でないと務まらない。
あの夜の土俵には、全員『知の横綱』が登場したのだ。
一人でも大関や関脇クラスの人間が混じっていたら、ああした展開にはならなかったと思う。
私は、この世には本当に、横綱という人たちがいるのだということを、骨身に沁みて思い知らされた。
ただ聞いているだけだったのに、たった一晩だけだったのに、私の目から、何百枚もの鱗が落ちた。
それは、一流の仕事をしている、一流の大人たちの頭の中身が、どれほど凄いものかということを思い知った、本当に得がたい体験の一夜だった。

            澁澤龍彦


私は、ゴールデン街の中の、小さな酒場の片隅で、仏文学者であり小説家であり美術評論家であった澁澤龍彦を知り、
日本のシュールレアリズムの先駆者、詩人であり美術評論家だった滝口修造を知り、
日本の民俗学・国文学の研究者であると同時に”釈沼空”という名前の詩人でもあった折口信夫を知り、
『黒い雨』を書いた脚本家の石堂淑郎とその舞台を、
死とエロスをテーマにした作家で評論家でもあったジョルジュ・バタイユや、天才詩人アルチュール・ランボーや、『肉体の悪魔』を書いて20歳で夭折したレイモン・ラディゲを、
             アルチュール・ランボー

            レイモン・ラディゲ

そして凄まじい性愛小説『悪徳の栄え』を書いたために、ナポレオンに精神病院に閉じ込められて死んだフランスの作家で侯爵でもあったマルキ・ド・サドや、
心理学者フロイト、詩人アポリネール、ジャン・ジュネ、といった、普通の人とはちょっと違う世界に住む、芸術家たちの存在を知り、
後日、彼らの著作のほとんどを読むことになった。

          マルキ・ド・サド侯爵

でも何より一番大きい収穫は、論理学、倫理学と並ぶ哲学の三大部門のひとつである、美や芸術、あるいは趣味の世界を追求する「美学」を認識させられ、なおかつそれが実際どういうものであるかを、それを生業にしている人々から直接レクチャーを受けるような形で、しっかり学べたことだった。

門前の小僧で、多少習わぬ経が読めるようになった私は、こうした知識が増えるにつれ、シュンさんの話す男と女の間の特殊な出来事のあれこれが、次第にエロとは全く関係の無い、真面目な話に聞こえるようになっていた。

「男と女の間には正上位しかないわけじゃない」
「ふう・・・・ん・・・・」
「世間の常識以外はみんな異常、なんて考えの方が、よっぽど異常」
「う・・・・・・・・・・・・」
「ま、そのうちわかるさ」
シュンさんはいつも、こんな風に抽象的なものの言い方をしたが。
周囲の大人たちのお陰で、彼が語っているのは“性愛の美学”、『エロティシズム』という哲学らしい、というぐらいには、受け止められるようになっていた。
もちろん20代前半の私では、性愛の本質などはまだ判りようも無く、精一杯に背伸びした、小賢しい自己解釈に過ぎなかったのだろうけれど。

■三島由紀夫と浪漫劇場

“浪漫劇場”は、1968年、三島由紀夫によって創立され、新宿・紀伊国屋ホールでの公演を主として、1972年の解散まで7回の公演を行っている。
前の章で書いた通り、シュンさんは、この“浪漫劇場”の劇団員だった。

だから、というわけではないけれど、シュンさんの口から聞く三島のあれこれや、常連さんたちの口の端に昇るその噂話などで、三島由紀夫という作家は、私にとって本屋の本棚で見かける、どこか遠い存在の人ではなくなっていた。
リアルで人間の匂いのする、少し身近な芸術家、という感覚があった。

私が“もんきゅ”に入り浸っていた、1967年から1972年ごろにかけての三島由紀夫の活動を見てみると・・・・・。

三島由紀夫は1965年から、遺作となった「豊饒の海」の執筆に取り掛かった。
そして5年の歳月をかけ、1970年11月25日、最終章『天人五衰』を脱稿。
直後の午前11時頃、三島は主宰する「盾の会」隊員四名と共に市谷陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込み、檄を飛ばしたが結果を得ず、隊員森田必勝の介錯を受け、自決した。
事件の内容が内容だけに、関連する資料は多いが、某資料によると、短刀を臍下4㌢のところに突き立てた三島の介錯をする筈だった森田は、次に自分が切腹する予定だったため動揺したのか、三度刀を振り下ろし、三度とも失敗。終には剣道の心得のある古賀浩靖に介錯を代わってもらうことで、やっとその目的を果たしたと言う。

            自決当日の三島由紀夫

この翌年、三島演出による『サロメ』が、“浪漫劇場”の第七回追悼公演として、新宿紀伊国屋ホールで上演された。

この演劇は、三島がサロメ役の女優・森秋子に、劇中全裸になることを要求し、日本の演劇史上でも、主役女優が、舞台で初めて全裸になったということで知られている。
私は、シュンさんに頼み込んで、舞台稽古と、舞台裏を見せてもらいに行った。
そのとき・・・・・。

舞台稽古が始まり、薄暗い舞台裏に居た私の周りで、ふっと人通りが途絶えた。
舞台袖への通路がわからず、うろうろ探していると、大きな木製の装置の上に、銀色のお盆に乗った“何か”がこっちを見ている。
何だろう、と目を凝らしたら・・・・それは人間の生首!
血にまみれた怨めしそうな顔で、こちらをじっと見詰めていた!

さすがに声は挙げなかったものの、暗い舞台裏でそこだけが、ぽっ、と明るんでいたことで、背筋が凍りついた。

資料によると三島は、前年の自決前から、翌年自身の追悼公演になるであろう第七回公演の演目に、この『サロメ』を熱望していたと書かれている。
銀のお盆の上に、自分の愛を受け入れなかった恋人ヨカナーンの、血の滴る首を乗せ、七つのベールを次々に脱ぎ捨てながら踊り狂うサロメ・・・・・。

自決直後、ある写真週刊誌に載った、三島の遺体写真を見たとき、胴体と切り離されて、床の上に置かれた三島の首が、サロメの舞台裏で見たヨカナーンの首に重なって、背中に悪寒が走ったのを、今でも生々しく思い出す。
完璧主義の三島が、自身の人生の終演に仕組んだ演出だとしたら、その執念の凄まじさに鳥肌だつ思いがする。


“もんきゅ”のカウンターの中に入り、水割りを作り、おつまみを作って、せっせと大人の方たちの応対をしたのは、正味一年とちょっと。
あとはまた気楽な常連客のポジションに戻ったのだが。
私の20代前半は、夜の新宿ゴールデン街抜きには思い出せない。
だからもう少し、この話を続けてみようと思う。
次は、素敵なゲイのおネエさまたちとのエピソードなど、語ってみようかな(笑)


では、恒例の唄のプレゼント。
今回はY―TUBUでは見つからなかったので、BGMと歌詞のセットでご紹介します。

歌をご存知の方は歌詞を参照しながら歌ってみてください。
唄そのものを知らない方は、あきらめるか、周辺50代以上の方に聞けば何とかなるかも・・・・(笑)

そうそう、ちょっと作詞者の名前にご注目を。
1967年、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞した作家・野坂昭如氏が作詞を担当し、三島由紀夫自決の翌年大ヒットした「黒の舟唄」です。

1972年、大学紛争はやや下火になりかけてはいたが、セクト間で学生同士が殺しあう内ゲバが続き、2月には連合赤軍が「浅間山荘事件」を引き起こし、5月には日本赤軍がイラクのテルアビブで銃乱射事件を起こして24人の死者を出した。

米大統領ニクソンの陰謀・ウォーターゲート事件が起き、ハイセイコーが大井競馬場でデビュー、カシオが世界初の電卓を発売し、アメリカはやっとベトナムから地上勢力を撤退させた。

田中角栄の手で日中国交が正常化に向かい、上野動物園にパンダのランランとカンカンがやってきて、事件を起こしたニクソン大統領が再選を果たし、横浜に市営地下鉄が開通した。
いまから、たった35年ほど前の出来事・・・・・。


ではこの年のヒット曲、「黒の舟唄」をどうぞ。
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk2/kuronofunauta.html
『黒の舟唄』1972年(長谷川きよし)
作詞:野坂昭如  作曲:桜井順:

男と女の 間には
深くて暗い 川がある
誰も渡れぬ 川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

お前が十七 俺十九
忘れもしない この川に
二人の星の ひとかけら
流して泣いた 夜もある
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

あれから幾年(いくとせ) 漕ぎ続け
大波小波 ゆれゆられ
極楽(ごくらく)見えた こともある
地獄(じごく)が見えた こともある
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

たとえば男は あほう鳥
たとえば女は 忘れ貝
真っ赤な潮(うしお)が 満ちるとき
なくしたものを 思い出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

おまえと俺との 間には
深くて暗い 川がある
それでもやっぱり 逢いたくて
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

(付録)

長谷川きよしさんの、朗々たる歌声とは似て非なるものがありますが。
たまたまY-tubuに、「ガンフロンティア」という方たちの歌う「黒の舟唄」を見つけましたので、ここに載せてみます。
あまりにも違う歌い方なので、どうしようかと悩みましたが、「黒の舟唄」そのものを知らない方たちのために、歌詞とメロディの参考として載せますが、もっとしみじみとした、深い唄だったのよォ・・・・・。

http://jp.youtube.com/watch?v=6FGB7MTrAGk
          


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syun

澁澤先生たちの酒議論ききたいですね・・・。
by syun (2011-01-24 23:56) 

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