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5才で天国に行った小さな女の子のお話。 [童話]

            『あっちゃん バイバイ』

 あっちゃんはね、お兄ちゃんの友だちの、ヨシオくんの妹。あっちゃんは五つ。あっちゃんは 今よりもっと小さいとき、中耳炎にかかって、少し耳が遠くなった。だからあっちゃんは 遠くから名前を呼んでも、知らんぷり。けど、うんと近くで「あっちゃーん」て呼んだら、ニコニコふりむいてね、首をかしげて「う~」とうなる。それがなんか、すごくかわいいんだよ。

 週間新潮表紙絵谷内六郎さんの絵です

 ぼくが一年生になったときの夏、五年生のお兄ちゃんとヨシオくんと、ぼくとぼくの同級生たちとで、川へ遊びにいくことになった。
「水泳パンツをはいて、タオルを持って、ボーシは忘れずかぶってくる」

 大きな声でお兄ちゃんが命令する。ぼくは、みんなのリーダーをやってる、カッコいいお兄ちゃんが、すごく自慢だった。

 神社の前のタコ焼きばあちゃんの屋台の前に集まることになって、ぼくは、学校が終わると同時に、家にすっとんで帰った。

 約束どおり、ばあちゃんの屋台の前にみんな集まったのに、ヨシオくんだけがこない。さきに行こうよってみんなさわいだけど、「もう少し待つ ! 」というお兄ちゃんのひと声で、全員おとなしく石段にすわりこんだ。風はないし、お陽さまはじりじりあついし、背中を汗がたらたら流れるし、いくら待ってもヨシオくんはこないしで、いいかげん嫌になったとき、 お兄ちゃんがとつぜん飛びあがった。

「おーい、山田ァ、こっちだ、こっち」

 ヨシオくんが、ひたいにいっぱいあせをかいて、走ってきて、「ごめん、ごめん」と、みんなにあやまった。そんなヨシオくんのズボンのかげから、「う~」と、あっちゃんがかおをのぞかせた。

「やっぱり、そうやったがか」

「うん、あんまり泣くき、ほうってこれんかった。お母も、つれていちゃりゆうし」

「かまん、かまん。一年ボウズの中で、遊ばせちゃろ」

「すまんねや、ジャマもんがふえて」

「なにが。みんなぁで、ちょっと気をつけちゃりゃあ、すむことやか」

 ヨシオくんは、ほっとしたかおをした。あっちゃんは、ニコニコ、う~といった。お兄ちゃんが、さっさと歩きだした。

 ちんか橋をわたって、草だらけの土手をすべりおりると、小石の川原がひろがっている。みんなの服やタオルを、そこにひとまとめにおくと、お兄ちゃんがいった。

「ええか、あそこの大石からむこうへは、ぜったいにいくな。うんと深うて、背のたたんところがあるき。それから、水につかりっぱなしもいかん。冷えてハラこわす」

 ぼくも、みんなも、しんけんにうなずいた。

「ときどき見にくるけんど、おれらぁがおらんときは、大きいもんが下を見んといかん。あっちゃんは、お前らぁが、ちゃんとめんどうみる。いじめるやつがおったら、ゆうてこい。おれとヨシオは、橋の下で魚を取りゆうき。すんぐに、助けにくる。わかったねや」

 ぼくらは、ぜんいん、しっかりとうなずいた。

 お兄ちゃんとヨシオくんは、水中めがねと竹のヤスと、魚アミと箱ビンをかかえ、なにかしゃべりながら、ゆっくりと歩きだした。

「おまえの兄ちゃん、すごいねや」

「なにが ? 」

 ぼくは、わかってたけど、とぼけた。

「なんでも知っちゅうし、こまい子にはやさしい。映画のオヤブンみたいや」

 思わずかおがニヤニヤしてくる。ヒロくんが、つぎになんていうか、わかってるから。

「あんな兄ちゃん、おったらええねや」

 ヒロくんは、ひとりっ子なんだ。

「ああいう兄ちゃんならええけんど‥‥」

 こんどはコウジがぽつんとつぶやいた。コウジの兄ちゃんのコウタは、学校でも有名な暴れん坊だ。そのせいで、おとなしいコウジは、まわりの子から、しょっ中いじめられている。

「父ちゃんとわかれて、母ちゃんがいなくなってから、兄ちゃん変わってしもうた」

 ぼくにはわからない。母ちゃんがいなくなるって、どういうことなんだろ。だけど、しょんぼりうつむいているコウジに、たぶん、そんなこと、きいちゃいけないんだろうな。

「心配すな。コウジには、おれらぁがついちょる。友だちじゃき」

 そういうのが、せいいっぱいだった。するとうつむいてたコウジがかおをあげ、半べそのまま、ニヤリとわらった。ぼくも、なんとなくニヤリ、とわらいかえした。

 そのとき、だれかが、水泳パンツをグイッとひっぱった。あっちゃんだ。汗だらけのかおで、う~う、と川をゆびさしている。

「あ、ごめん。いこいこ」

 ぼくらはそろって、川にとびこんだ。

 あっちゃんは、はじめちょっとこわがってたけど、すぐなれて、おなかのところまで水に入って、大よろこびだ。すべって、ころんで、頭まで水につかっても、泣かなかった。ヒロくんが、りょう手をもってやったら、バタ足もした。

「だいじょうぶか ? 」

 ときどきヨシオくんが見にくる。

 あっちゃんは、その日よくしゃべった。いつものう~のほかに、あ~とか、お~ぅとか、ぎぎぃとか、いろんな言い方をして、はしゃいでる。

「あっちゃん、カッパみたいや。そんなに川遊び、すきがかぁ」

「あ~う、ぎぃぃぃ」

 むじゃきにはしゃぐあっちゃんを見て、ヨシオくんがつぶやいた。「こんなによろこぶがやったら、もっと早うにつれてきちゃるがやった」

 あっちゃん、子どもどうしで川にきたのは、これがはじめてなんだって。

 それからおにいちゃんがきて、いっぱい取ったメダカを、ビニールぶくろに入れて、みんなにわけてくれた。

「ほら、あっちゃんは女の子やき、とくべつ大サービスや。これ見ぃ、ヒメダカやぜ。赤のメダカなんか、めったにおらんぞぉ」

 あっちゃんは、ビニールぶくろの中をおよぎまわる、3びきの赤いメダカに、目をかがやかせた。お日さまにかざしては、なんども、なんども、のぞきこんでる。

 それからぼくらは、肩がやけてヒリヒリするほど遊んだ。夕方ちかくなって、かえりじたくをしていたら、頭のうえから、いきなり小石がバラバラおちてきた。おどろいて見上げると、土手の上にコウジの兄ちゃんが、うで組みで立っていた !

「なんじゃおまえら、赤んぼつれて水遊びか、まっことヒマじゃねや」

 コウジの兄ちゃんのコウタは、お兄ちゃんとヨシオくんの同級生だ。まっ黒に日やけして、背もお兄ちゃんより高い。ガッチリしてる。まゆがふとくて、眼ん玉をぎょろりとむくと、めちゃめちゃこわい。

 いつもひとりでぶらぶらしてて、友だちや下級生を見かけると、すごんだり、おどしたり。ときどき気まぐれに、小さい子をポカリとやるから、みんなにきらわれて、それでますます友だちがいなくなり、ますますいじわるになっていた。

 ぼくらはこわくて、お兄ちゃんたちのうしろにかくれた。だけどそんなぼくらのうしろから、あっちゃんが、いきなりとことこ出ていった。

「なーんじゃあ、おまえ ! 」

  コウタが、れいの眼で、思いっきりあっちゃんをにらみつける。だけどあっちゃんはまるでへいき。コウタの目の前に、ヒメダカの入ったビニールぶくろをつきだして、うれしそうにこうさけんだ。

「おあ、こえ、い~え~あ~ぁ、あょ」

 ぼくはハッとなった。きょう一日あっちゃんと遊んで、あっちゃん語が少しわかるようになっていたぼくは、あっちゃんが、ほら、これ、ヒメダカだよって、コウタに言ってるのがわかったんだ。

 それに、あっちゃんがコウタを、なんでこわがってないかもわかった。あっちゃんの眼には、コウタが、ヒメダカをくれたやさしいお兄ちゃんとおんなじに見えてるんだ、まるきりちがうのに !

 コウタは、じぶんをちっともこわがらないあっちゃんを、ちょっと、ふしぎな生き物でも見るみたいに見つめた。そうして、とめるヒマもなく、いつも小さい子にやるように、あっちゃんの頭をいきなりポカリ ! となぐった !

 あっちゃんの手から、ビニールぶくろがふっとび、水といっしょに、たった3びきしかいないヒメダカが、あたりにとびちった。それを見たしゅんかん、ぼくの頭の中はまっ白になり、コウタの胸ぐらにとびかかっていった。

 ブッとばされるぼくを見て、お兄ちゃんがコウタにつかみかかったのと、ヨシオくんが、コウタにむしゃぶりついたのが、いっしょだった‥‥ような気がする。

 とにかくそれからめちゃくちゃになり、かえり道は、もうだれも口を開かなかった。

 お兄ちゃんもヨシオくんも、眼のまわりがまっ黒になり、ぼくらも大きなこぶがあちこちできて、せっかく取った魚たちはぜんぶ道にとびだして、死んでしまった。そしてぜんいんで戦ったのに、ケンカはやっぱり、コウタにこてんぱんにまけてしまった。

 それから一週間たって、あっちゃんは国道で、車にはねられた。

 ヒメダカを取りに、ひとりで国道をわたろうとしたんだよと、駄菓子やのおばちゃんが、前掛けで涙をふいていた。

 あっちゃんのおそうしきには、近所中のおとなと子どもたちがあつまった。さいだんには山もりの花と、おかしと、おもちゃと、それから、あっちゃんがかいた、たくさんのヒメダカの絵が、かざってあった。

 火そうばにいく時間がきたとき、すごいいきおいで、だれかが走りこんできた。よれよれのシャツにドロだらけのズボン、かおも体もあせまみれの、コウタだった。コウタは、みんながびっくりして見ている中を、まっすぐさいだんの前にいった。そして、手にさげていた大きなビニールぶくろを、ニコニコわらっているあっちゃんのしゃしんの前に、そっとおいた。それを見たあっちゃんのお母さんが、いきなり大声で泣きだした。

 ビニールぶくろの中には、赤いヒメダカが、いっぱい、およいでいた。

 あっちゃん、コウタはね、あれからとてもまじめになったよ。だれもなぐらなくなったし、いじわるもしなくなった。お兄ちゃんやヨシオくんとも、少しなかよしになった。

週間新潮表紙絵の谷内六郎さんの絵です

 あっちゃん、あんなに元気だったのに、人間っていつ死んじゃうかわからないんだね。コウタもそれに気づいたんだと思う。いじめた相手が、あした死んじゃうかもしれないってことにね。死んだら、その人にあやまることもできないもの。

 コウタはきっともう一生、だれにもいじわるしないよ。それからあっちゃんのことも、きっと一生わすれないと思うよ。ぼくもだよ。

 それじゃあね。あっちゃん、バイバイ。

 

 読んでくださってありがとう。3つ目の童話がすでに出来上がってます。次の童話は、小学生の男の子とそのお父さんとの、ちょっと切ない「約束」のお話です。タイトルは 『お父さんの フェニックス』

実はこれも含め、今までの童話は全て、以前、いろいろな童話賞をいただいたものばかり。皆さんがどう読んでくださるか、ブログに載せてみたのですが。どうだったのか、まだ良く分かりません。なにしろ、ブログ初心者なもので。

いま、最新のオリジナル作品を制作中ですので、そちらへのご意見をお聞かせいただきたいですね。では、また。

 

 

 

 

 

  


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liv-mucha

最近は物騒で、子どもだけで外で遊ばせることも少なくなりました。
むかしはこのお話にあったように、子どもだけの時間があって、
そこから学ぶことが人生の根幹になっていたように思います。
あっちゃんが障害を持っている必要があったかどうかは別として
素直に共感できたお話でした。
by liv-mucha (2006-03-09 15:40) 

mama-witch

★実はこのお話は、筆者が子どもの頃、本当にあった話なのです。
 あっちゃんは、小学一年生だった弟の、同級生の妹さんでした。少し違うの  は、あっちゃんは交通事故に会ったのではなく、川で水難事故に遭って亡くな ったのです。彼女の行方がわからなくなったとき、彼女の家族や近所の人は 総出で探し回りました。でもどうしても見つからず、あきらめかけた夕方、満潮 で増水し始めた川の中州近くで、なんとそのお父さんの足元に還ってきたの です。自分よりも幼い女の子が亡くなった、夏の日のその出来事を、筆者は  どうしても忘れることが出来ず、いつか彼女のことを書きたいと思い続けてき ました。少しアレンジはしましたが、ヒメダカを祭壇に置いたのは、小学校一  年生だった彼女の兄さんです。彼はいじめっ子なんかではありませんでした  が、かなりのやんちゃボウズではありました。そして、その日から彼は本当に 変わり、いまは小児科のお医者様です。
 遠い夏の日のそんな出来事を、拙い筆でこんな物語にしてみました。
 全国にたくさんいるだろう、やんちゃボウズたちに向かって。
by mama-witch (2006-03-20 06:46) 

liv-mucha

昔は今みたいにコンクリートでできた川なんか
なかったですから、事故も多かったんですね。
コンクリ護岸工事をみかけると、なんだか嫌になっちゃいますが。
私はメディアで「障害」やら「慈善」やらとお涙頂戴をくっつけて金儲けするのが大嫌いなので、辛口なコメントでごめんなさい。
お亡くなりになった妹さんを想うお兄さんは、そのヒメダカと同じ意味のものを、
今も妹さんに捧げ続けてる、立派なお医者さんになられたのでしょうね
by liv-mucha (2006-03-20 10:32) 

おはなし村ゆめ

これで、三つ目を読んだのですが、また、また、泣いてしまいました。
mama-witchさんの描く童話は、本当にどんな人の体験の中にもありそうな
子供の日の出来事と、そこで感じたことが、ありありと思い出せる作品です。
童話って、こういうものなんだなあと、なんだか、自分の描くものが
童話以外のジャンルに感じてきてしまいました。
見えてなかったなあと感じました。
子供の身の上に本当にあるようなことだからこそ、
共感を得ることができるんですね。
私は、こんなことがあったら、ちょっといいな・・・ってことばかり
書いてきました。
でも、今度は、自分の子供時代の思い出を話しにしてみようと
おもいました。
by おはなし村ゆめ (2006-04-02 16:22) 

mama-witch

★ゆめさん、来てくれてありがとう。
 子どもはきっと大人と同じように、彼らなりの悩みや苦しみ、楽しいこと、嬉し
 いことがあるんですよ。大人とは違うスケールや、彼らなりの世界の中で。
 私たちは残念ながらもう、彼らと世界を共有することは出来ませんが、自分も
 また、彼らと同じ感覚を持っていた時代があることを、忘れさえしなければ、 
 「お話」を通じて「いま」を共有できると思います。でも決して、思い出話を童話
 に仕立てないでください。思い出はそれ自体、もう終わったことです。それを
 現代によみがえらせ、新しい生命を吹き込んでゆく作業を通して始めて、童話
 という新しい生命体が生まれるのだということを、忘れないでね。
by mama-witch (2006-04-02 17:30) 

のんちゃん

こんばんは☆私のブログにあそびに来てくださってありがとうございました。
さっそく遊びに来ました。そして、作品を読ませていただきました。
私は、この「あっちゃんバイバイ」が、一番好きです。子ども達が元気いっぱいに生き生きと遊んでいる様子が目に浮かんできます。
そして、コウタが、赤いヒメダカの入った袋を祭壇にもっていった所は、とても感動しました。
私は、子ども達に読み聞かせをするとき、どちらかというと、大笑いできるようなおもしろいお話を選ぶことが多いです。
ときには、こういう心に染み入るようなおはなしも読んであげたいなと思いました。
by のんちゃん (2006-04-03 21:31) 

yukki-

とても痛いお話だけれでも
すべてのどんなことにも意味があると思っています
お兄ちゃんが小児科になることで
今度は、いくつもの子供の命を救うことだと思います
悲しいけれども、あっちゃんはそんな使命を持って
この世に生まれてきたのかもしれませんね

私も子供の頃に、事情があって
聴覚障害を持つ、3つ下の従弟と暮らした時期があります
一緒にいると当たり前のように
何を言っているのかが理解できるんですよね
その後、お母さんの元に帰った彼と
何年かぶりに会ったときには
それがわからなくなっていました
そしてそのとき初めて、一緒にいたからこそ
理解できていたんだということに気付きました
by yukki- (2006-05-03 10:41) 

mama-witch

★yukki-さん、こんにちは。
 一緒に生きるってすごく大事ですよね。
 私の若い友人のひとりも、実は聴覚障害者で、付き合って6年になります。
 彼は難聴で、彼のそういう状況を、解ったつもりになっていた私はある日、彼に言われた言葉に、大きなショックを受けました。彼はこう言ったのです。
 「ぼくは、生まれたときから難聴だから、ちゃんと聞こえるって、どういうことだかわからないんだ」
 わたしは、とても恥ずかしかった‥‥。
 聞こえない、聞こえにくい、と云うことが、それが24時間続き、10年続き、25年続いている彼の状況がどういうことか分るはずがないのに、分ったつもりになっていたのですから。
 ”わからない”という言葉の持つ意味をこのときほど考えたことはありません。
 わたしたちは、”解る”ことより、”わからない”と云うことを知らなくてはいけな
いのではないでしょうか。
 ”解らない”から、謙虚にならなくてはいけないと思うのです。
 「解ったつもりにならない」
 それが、そのとき以来、私の生き方のひとつになり、人間を書くときの、重要
なチェック・ポイントのひとつになりました。
by mama-witch (2006-05-03 19:49) 

Silvermac

まだ、小学生の頃、少し年上の子供がリーダーで、鏡川に泳ぎに行っていました。そんなことを懐かしく思い出す、土佐弁の童話を読ませていただき、タイムスリップしました。
by Silvermac (2006-05-10 16:01) 

mama-witch

 ありがとうございます、silvermac さん。そうです、これは実は鏡川物語なのです。そしてこの川に育てられた私や私の仲間達の物語でもあります。だからこの作品を書くとき、沢山の同郷の方たちや、川の側で育った方たちを念頭において書きました。その気持ちが、作品を通して伝わっていったら、私はこの上もなく幸せです。暖かいコメント、本当にありがとうございました。
by mama-witch (2006-05-11 21:04) 

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